鎌倉殿の十三人も大詰めを迎えてきた。北条氏の一強となり、新しい世の中となる過渡期。鎌倉武士の内紛から都人たちの対峙に移行し始めており目が離せない。
結果として時代は武士政権へと移行し、甲冑にもデザインが求められるようになった。派手で目立つものが続々と登場した。
日御碕神社へ奉納された白糸威鎧は鎌倉時代末から室町時代初期に造られたもの。全体は白糸で作られ、胴部分には不動明王が描かれている。時代が経って朽ちてきているのが残念だが、作られた当時は白く輝く鎧にまとい、腹には炎に包まれた不動明王のコントラストが見事な甲冑だっただろう。
さて、この国宝甲冑は別の視点として文化財保護に関係する。1805年に松江藩主であった松平治郷によって修復され、その時の修理記録や図面、糸や紐まで残っている。現代に続く、文化財を修理保存する思想につながっている。なお、この藩主は後に隠居して不昧と名乗り、江戸時代を代表する茶人であった。不昧の文化を大切にする心がけが国宝へと導いたといって過言ではない。