国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【醍醐寺展】絵因果経

昨年、東京のサントリー美術館で開催された「醍醐寺展」が九州博物館で巡回展として開催されている。

真言宗系の展示会は仁和寺展、大報恩寺展があり、今春には東寺展があるなど積極的に開催している。真言宗が歴史的に天皇家に近いことから貴重な文化財が多いため、成立する。

さて、醍醐寺もその流れに乗っての展示会だが、展示品の期間による差し替えが多く何度か見に行かないと全部見ることができない。そのひとつで釋迦の生涯を絵巻物で見せる「絵因果経」は前半と後半で観られる場面を変えて展示する。前後編や4分割など場面を変えることで何度も来場してもらう狙いがあるのは分かるが、スペースがだいぶあったので一度に見せても良いと思った。

国宝の絵因果経は東京芸術大と上品蓮台寺のものがある。ともに国宝展で出品されていたが、醍醐寺のものは出品が無く、同一の展示会ですべてみる機会はなかった。分かりやすい絵解きものは、書に単独に比べて見ていて理解が進む。

九博の醍醐寺展はかなりゆったりとしたスペースの使い方で、もう少し多めの出品があっても良かった。春は現地で桜を見ながら霊宝館を訪れるのが贅沢の極みだが、それができない人は会場内に桜のディスプレイがあったので、気分だけでも醍醐の桜を味わえる。

【平成指定】旧富岡製糸場

平成になって国宝指定が毎年のようになされてきた一つの要因は世界遺産指定にあると思う。旧富岡製糸場は05年に国の史跡、06年に重要文化財の指定を受け、14年に国宝となった。その前年に日本産業革命の原点として世界遺産の認定を受けている。

世界遺産となったことで、「世界が認めた文化財なのに、日本国は重要文化財でよいのか?この際、国宝へ格上げだ」という流れがありそうだ。近代の文化財が国宝となるのは珍しく、この流れは今後増えていきそうだ。

【平成指定】島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸

すでに知られた文化財が国宝へと昇格するのはなんらかの理由が必要だ。しかし、これまで知られていなかった文化財ならその価値だけで国宝へと上り詰めることができる。加茂岩倉遺跡出土銅鐸は96年の掘削工事中に発見された。銅鐸39口と日本最多であることと保存状態の良さ、さらには神話の国・出雲での発見が後押しとなり、とんとん拍子に国宝へと駆け上がった。古代出雲歴史博物館ではそれを見ることができる。いままで知られなかった貴重な文化財はいつの時代に発見されても価値は変わらない。

【平成指定】青井阿蘇神社

この夏に訪れた青井阿蘇神社熊本県初の国宝。その時にも書いたが、国宝指定に対しての喜びようが半端ない。ちょうど10周年だったこともあり、神社には周年記念の垂れ幕が上がる。ほかの国宝も見習ってほしいぐらいの歓迎ぶりだ。

さて、平成になり神社として国宝指定を受けた最初ものが青井阿蘇神社である。寺院が瑞龍寺だったことを考えると県別空白地を埋めるべく、指定に動いたのかもしれない。誰もが思う国宝候補の寺社仏閣は大抵、昭和に指定されている。なので、国宝にふさわしいだけでなく、それに付随する”動機”が必要なのかもしれない。

【平成指定】瑞龍寺

97年に国宝指定を受けた瑞龍寺富山県初の国宝である。高岡駅からほど近く、北陸新幹線新高岡駅からも歩いて行ける距離にある。

荒野だった「関野」という地を、加賀藩2代目藩主の前田利長が整備して出来た高岡。利長の死後、家臣団はすぐ金沢へと引き上げ城下町としての役目は請け負うことができなかったが、その代わり整備された土地で商工業が盛んになり、商いの街へと発展した。

瑞龍寺は高岡の基礎を築いた利長を弔うために建てられた。立派な禅宗建築で、さすがに派手さはないものの京都の総本山クラス雰囲気がある。市内中心にあって静寂を感じることができる貴重な場所で、高岡大仏がある商業地の雑然さとは対照的である。

さて、富山県初の国宝が高岡から選出されたことに、富山市民はどう感じているのか気になるところである。

【平成指定】琉球国王尚家関係資料

平成最後の国宝指定は玉陵である。つい最近ニュースにもなったので記憶新しい。しかし、沖縄初の国宝は琉球国王尚家関係資料である。

沖縄は太平洋戦争の激戦地で島全体が焼け野原になった。なので多くの文化財が失われた。ところが、国王家の末裔である尚家が明治維新後は侯爵として東京へ移り住んだことにより、関係資料の焼失はまぬがれた。ウィキペディアによれば、尚家は沖縄では文化財の永続的保管環境が整っていないと考え、一旦は東京都台東区へ寄贈することなった。しかし、沖縄県の猛烈な反発に合い、沖縄県民の至宝として寄贈を受ける体制を整え、寄贈を受けることとなったそうだ。

大名から転身した多くの貴族が先祖代々の文化財を二束三文で売りさばいた。その事実がある中で、色鮮やかな琉球文化が現地で見ることができるのも尚家が大切に受け継いだからだ。あるべきところにある。これが文化財の一番しっくり場所だ。

ただ、歴史はそうさせない。多くの国宝級の文化財が海外へ流出(海外のものが日本に流入)している。世界遺産ではないが、ワールドワイドな文化財指定制度があれば、日本からなにが選ばれるか想像しただけでワクワクしてくる。

 

【平成指定】 土偶 北海道函館市著保内野遺跡出土

平成の国宝指定において気を使って指定していることに、県別国宝指定空白地を無くすことがありそうだ。おそらく公式には平等に検討した結果ということになるのだろうが、各県1個以上の国宝は持っておきたいと思うのが人情である。

現在は徳島と宮崎に国宝がない。2001年時点で北海道、群馬、熊本、沖縄もなかったが、北海道は土偶が指定を受けてみごと国宝ある地域へ昇格?した。出土地域ということならば宮崎も五島美術館所有の日向国西都原古墳出土金銅馬具類が国宝指定を受けているが、当県の所有ではないので空白地となる。

平成が終わり、時代が変わればアイヌ民族文化財が国宝指定を受ける日も遠くないだろう。

 

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。