切り立つ山々、写実的な花々など中国画の傑作の中にあって、ポツリと佇んでいるのが宮女図。
ほんとうに2階のトリを飾る作品でよいのか。どこにでもいそうな宮廷の女性が一人だけ書かれていて、派手さに欠けるシンプルな構図。これまで2階で見てきた色あざやで金銀で彩られた仏画群や色の濃淡だけで世界の無限の可能性を感じさせる水墨画などと比較するまでもなく、単純なものである。
だが、なぜか人が集まる。それも再度見に集まる。通り過ぎたと思ったら、再び舞い戻り刮目して去る。これまで見てきた作品は見た瞬間に気持ちの高揚があり、次の作品を観るまで興奮状態になり、目移りした瞬間に別の高揚感に襲われる。しかし、宮女図は目には入るものの、見入ることもなく過ぎ去ってしまい、余韻を残す。そして、再び相まみえたくなる。
まるで、日本人の主食である米のようである。米は何にでも合う主食であるはずだが、メインはおかずに奪われる。いつも食卓に出ているため、気にも留めない。ところが、最高級の米ならばどうなるか。おかずありきの米が、米ありきの副食へと食べ方が変化する。米中心の食卓がどれほど贅沢なものなのか。想像するだけで垂涎ものだ。そんな最高級の米のような作品なのかもしれない。(パン食の方は高級パンで考えてね)