国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

回顧 国宝 京都国立博物館

 ついに国宝展が終了した。残暑がそれほど残らなかった今年は展示会で長蛇の列を待つには絶好の気候だった。ただ、雨が多く、特に週末に降られた。それでも60万人を超える来場者数は国宝を210件も集めた成果だ。

 8週間の展示で、一番人気は金印だった。東博での国宝展でもそうだったので、誰もが衝動的に見に行きたくなるのだろう。それを見越して工夫した列の作り方はとてもよかったが、会場に入るのに列、近くで観るのに列では並びに来ている以外なにものでない。だが、それでも近くで観ることでしかわからない鏡越しの金印の裏面は並ぶ価値があった。

 個人的に一番観たかったのは龍光院曜変天目茶碗であった。今年、藤田、静嘉堂でそれぞれが所有する曜変天目を観たことで、残る一つをどうしても観たかった。ところが、いつ観ることができるか分からない代物。前回が20年近く前だったようで、気長に待とうと思っていたところ、9月に追加発表された。観たかったのは私だけではないので、近くで観るためには列に並ばないといけなかったが、金印ほどではなく数分で順番が回ってきたの3度ほど間近で観た。器の中の輝きが小宇宙を形成してようで、ほかの二つとは全く別の輝きを感じた。惜しむのは光の加減が、良い意味でほかの二つと比べて工夫されすぎていた点。一番良い状態で観たのかもしれないが、ほかの二つと比較しにくかったので、あの照明器具を両館に貸し出して見せてほしい。

 源氏物語絵巻も人気だった。光源が描かれている選りすぐりの場面が展示されていたこともあって、特に女性が列をなして観ていた。5年に1度の国宝そろい踏み展が人気なのもうなずける。

 六道絵と地獄も人気のコーナーであったが、夏に奈良博の源信で一通り観ていたので個人的にはスルー。肖像画神護寺の虫干しで予習済みだったので、それほど興奮しなかった。

 博物館で観る屏風絵や襖絵は見やすくてありがたい。大きいので少し離れたところで観る人が多いこともあり、観えなくて困ったということはなかった。逆に、考古や金工関連の小物類は列ができると見えないので、観たいものをピンポイントで観ることが多かった。

 仏像は運慶展に一歩譲る形となったが、それでも関西だから揃えられた名品が多く、楽しむことができた。日本画と中国絵画は全期間を通して目玉ばかりで、普通ならばそれだけで客が呼べるオールスター戦だった。雪舟そろい踏みが起点となって、それより前の時代に活躍した周文や如拙の傑作、それ以後の元信から始まる狩野派、それに対抗した長谷川親子に琳派、応挙に蕪村と300年の日本絵画を凝縮したラインナップとなった。日本画のオールスターが見本とした牧谿が出ていたのも流れとして分かりやすかった。

 金工蒔絵の美しさは言わずもがな。染織分野がこれほど時代をさかのぼれるとは知らなかったし、考古の分野も近畿圏ものが多く展示されていたが、縄文時代の土器たちのインパクトが凄かった。国宝5点の土偶揃い踏みを一度観てみたくなった。

 仏画は截金の繊細さが際立った。平安時代に作られたにも関わらず、截金部分は鮮やかに残っていた。仏像もそうだが、出来た当時は染料が色鮮やかで派手やかなものだっただろうが、それは色あせたりはげ落ちており金のみが残っているが、それでも拝みたくなる神々しさは健在だった。

 書跡は普段から地味で、人だかりができることは稀である。現に夏の京博で国宝プレイベントとして、京博が所有しているが国宝展では出品できないものを一堂に展示していた。国宝ばかりであるにも関わらず、人はまばら。じっくり観ることができてよかった。ところが、国宝展ではどの作品も人だかり。もちろん全国から教科書に載っていた名品を集めたからだろうが、ここまで注目を集めるとは想像できなかった。Ⅳ期それぞれのテーマがよかったのかもしれない。ぜひ、それぞれのテーマで単独展を期待したい。(その時は人が集まるかは疑問だが)

 ブログを書き始めて5か月近く。国宝展へ行くと決めて、予習のつもりでアップしてきた。展示会が始まり品々を観て過去の書き込みが無知で稚拙なので情けないが、思い立ってすぐに始めたのでご容赦いただきたい。いつも間にか紅葉のシーズンも終わりに近づき、寒い冬へと変わる。これを機会にいろいろな国宝を観て回りたくなった。

 

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。