国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

2025年を振り返って

2025年は兎にも角にも大阪・関西万博開催に合わせた国宝大集合特別展ラッシュだった。 その2大イベントは、奈良国立博物館で開催された超国宝展と大阪市立美術館の日本国宝展に尽きる。両館ともに初めての国宝展で、ラインナップは東博や京博で開催された過去の国宝展に匹敵した。超国宝展は前期後期、日本国宝展には4回も見に行ったが、展示替えもありどの回も非常に見ごたえのある満足のいく内容だった。
2大国宝展が国宝を見せる展示だったのに対して、それ以外にも万博に呼応した展示会として、京博の美のるつぼや春日大社の大鎧展などそれぞれの展示コンセプトをもとに国宝を集めたものも充実していた。まさに国宝尽くめの年で、文化財と関連性はないが映画「国宝」まで大ヒットした。(検索ワードが映画のものだらけになり、公開情報を入手するのに往生してます)
年明けから振り返ると葛井寺建立1300年のイベント開始前に千手観音を見に行った。結局1300年の大公開には行けなかったので、事前に訪れて正解だった。平田寺の聖武天皇勅書は所蔵寺院でほとんど公開されない代物(寄託しているため)だった。運営が初めてのようで見るために大行列ができた。ただスタッフの声としてこれだけ集まるのなら次回も考えたいようなニュアンスを聞けたのは朗報。山梨の菅田天神社所蔵の小桜韋威鎧のように公開を恒例化してほしい。
春は国宝祭りで大満足。今年も暑かった夏は大鎧展、きゅーしゅうの国宝、徳川美術館での刀祭を堪能した。秋は宋元仏画に始まり、観峰館での王義之の書、源氏物語絵巻東博の北円堂展、静嘉堂文庫の未来の国宝などがあった。春先の国宝展示数が異常に多かったせいもあり、夏場以降は国宝の展示が減り見に行く機会が減っていた。建築系の国宝を見に行けばよかったと反省している。

2025年の3点は順不同で、
・平田寺の聖武天皇勅書
・奈良博の超国宝展の後期の宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像 (伝如意輪観音
徳川美術館源氏物語絵巻

普段は寄託している聖武天皇勅書を所蔵寺院である平田寺にて公開した。2日間の公開だったが、地元・遠方を問わず多くの人が来たようだ。初めての試みのようで、導線や列の待ち状況など運営的には改善が必要な部分(3月なのに暑さ対策が必要なほどだった)があったが、このような機会がないと行くことがないお寺参りは遠足気分で楽しめた。本題の国宝・聖武天皇勅書もしっかりと見ることができたので、それだけでも行く価値はあったが、田沼意次が藩主だった場所とあってべらぼう関連展示も資料館で行っていてラッキーだった。
国宝の大量公開の中で、一番のお気に入り展示方法が後期の宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像だった。前期は単独で展示していてそれはそれでよかったが、後期は場所を移動して西新館の多くの国宝の一つとして展示していた。なにが良かったかという、その展示の配置。菩薩を正面から見ると背後に大好きな法華寺阿弥陀三尊および童子像があり、横を見れば山越阿弥陀図や釈迦金棺出現図が囲み、まさに極楽空間となっていた。昨年の空海展といい、今回の超国宝展といい、奈良博だから集められてそれを最大限かっこよく展示している。来年の奈良博の吉野も見逃せない。
徳川美術館源氏物語絵巻展は国宝好きなら見ておきたい展示会だった。2020年に五島美術館の番だった源氏物語絵巻展が中止となり、5年の歳月を経て見ることができた。国宝の公開では5年ぐらい間があくことはよくあるが、それが決まった時期に開催される大型展示会となると万難を排して行く準備ができる。ただ、コロナ禍を経験して、それまで国宝を追いかけているか不安だったが、杞憂に終わり見ることができた。徳川が巻、五島が板状の保存の違いがあったのは残念だったが、綺麗に残っているものだと感心しながら見た。

次点として徳川美術館の刀剣展が同じ会場で夏場に開催されたが、刀剣乱舞人気は一向に落ち着かない。単純に文化財として見る立場としては熱狂の中での観賞は圧倒されるので避けたい思いがあるが仕方がない。2大赤糸威大鎧が並び立つや大阪市立美術館の色絵雉香炉が見た風景などもあったが、数えるとキリがないのでこの辺で。
1年を振り返っていると万博関連イベントとしての国宝巡りが忙しく、ついに万博会場には行っていないことに気づいた。海外からのインバウンド客は日本の国宝を多く見る機会となったかもしれない。春から秋口にかけての関西の国宝の展示会場では大入り満員だった。ただ、秋になると観光客数は幾分落ち着いたようにも感じた。

来年の国宝関連の注目は東博。春先に開催される前田育徳会100周年展(前田育徳会創立百周年記念 特別展「百万石!加賀前田家」 東京国立博物館 平成館(上野公園))が大本命だったが、再来年に石川県立美術館でも開催されるようで、(大ゴッホ展のように)2年で1つの展示会かもしれない。

夏に空海、秋に大徳寺展が予定されている。空海展(特別展「空海と真言の名宝」/2026年7月14日(火)~9月6日(日)/東京国立博物館 平成館)は2024年の個人的ナンバー1展示会であった奈良博の2番煎じとならないかが心配。東博らしい総花的なものだとがっかりしそうだが、密教を体現できる空間作りだと奈良博を超えるのは相当難しい。東博の企画力が試される展示会となりそうだ。

そして、秋に大徳寺展(【公式】開創700年記念 特別展 大徳寺|東京国立博物館)は本堂などの解体修理が始まってからいつかは開催されると期待していた展示会。寺宝の展示数は多く入れ替えが少なめ(せめて前期・後期の2回)の内容であることを期待したい(宗峰妙超筆の墨跡の写真が出ていたので期待度MAX)。万博関連で企画された国宝だけを集めた展示は当分ないだろうが、増え続ける国宝建築もゲットしなければならず、馬のように駆け巡る1年となりそうだ。

無銘義弘(名物 富田江) 前田育徳会

豊臣秀吉は刀好きであった。多くの名刀を集めたとされるが、そのひとつが前田育徳会所蔵の富田江である。
元々の所有者は富田信広で、堀秀政が金16枚で買い求め、それを秀吉に献上した。秀吉から姉の子・秀次へ与え、また秀吉に献上される。秀吉の死後に、遺品として前田利長が受け継ぎ、徳川秀忠に献上された。秀忠の死後、遺物として前田利常が拝領する。なんとも渡したら戻って来る刀である。
何度も出戻るのは、幻の刀工である郷義弘の作中で出来映えおよび健全さにおいて稲葉江と双璧をなす刀であるためだ。天下第一の郷であるといわれた名刀は献上後も気になる存在である。
この刀が東博で来年春に開催される「百万石! 加賀前田家」で展示される。稲葉江が岩国で頻繁に展示されるのに対して、富田江はなかなかお目にかかれないので、ぜひ見ておきたい。

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本殿 北野天満宮

来年4月から京博で行われる特別展は北野天神だ。その本殿は豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が造営したものである。
特長は八棟造または権現造と称され、豪華絢爛な建築方式。本殿・石の間・拝殿の3棟が連結し、上から見ると「エ」の字に見えます。正面からは多数の破風が重なり桧皮葺屋根を戴くことで重厚感が増す。宮城の大崎八幡宮の国宝本殿も八棟造で、本当に八棟あるわけではない。
建築物のため、本殿自体が京博で展示されることはないが、博物館前のバスを使えば北野天満宮まで簡単に行くことができる。天満宮へ行ってから展示会を見るか、展示会から見るか。悩ましい課題だ。

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本殿 都久夫須麻神社

竹生島にある都久夫須麻神社の本殿は豊臣秀吉が築城した伏見城の日暮御殿を移築したものである。唐門と同じく息子の豊臣秀頼片桐且元に命じて移築した。彫刻がすばらしく、贅沢な神社だと思っていたが、移築されたものであった。伏見城は秀吉が亡くなった場所で、鎮魂のために静かな場所へ移したのだろう。
さて、移設を命じられた片桐且元は秀吉の直参衆で賤ケ岳の七本槍の一人である。父の代からの番頭で秀頼の信頼が厚い一方で、徳川家康とは秀吉死去後に秀頼が大阪城へ移った際に宿泊場所として片桐邸に2泊提供した仲であった。関ケ原の戦いでは石田三成側(西軍)に付くが、敗戦後に豊臣と徳川の仲介役として奔走した。方広寺鐘銘事件の中心におり、その後大坂を離れることになり、大坂夏の陣へと移る。事務方のキーパーソンで、表で大活躍する武闘派と違い、調整役として能力の高さがあったが、父の代からの番頭は息子にはウザい存在となり、豊臣家の崩壊を早めた。

 

唐門 宝厳寺

国宝の唐門は秀吉と縁深いものが多い。

琵琶湖の北側、湖に浮かぶ竹生島にある宝厳寺の唐門は、もともと京都東山にあった秀吉を祀る豊国廟の極楽門を、息子の秀頼が命じて片桐且元が指揮して移築したものである。

極彩色の派手な門で、門に施された彫刻が素晴らしい出来栄えであった。見に行ったのは修繕前でだいぶ色落ちしていたが、湖に浮かぶ島で風雨にさらされている割にはしっかりと残っていた。最近、修繕を終えたようなので豊臣兄弟放映記念に久々に見に行っきたい国宝である。

唐門 三宝院


豊臣秀長の死後、兄である秀吉に対してストッパー役がいなくなったことにより、朝鮮半島への出兵など費用がかさむことを躊躇なく実施した。また、派手な建造物の構築や前代未聞のイベント開催など、天下人として好き放題した。

その中でも派手さでは群を抜いているイベントが1598年に醍醐寺での花見である(その前、1594年に吉野の花見があった)。九州平定後に開催した北野大茶会と双璧となす規模で、寺院内に咲き誇る桜を見るために約1300人の客(女性ばかり)を呼んだ。このイベントのために建物を新調している。その名残が三宝院の唐門である。この門自体は派手なものではない。黒の下地に家紋がデカデカとつけられているシンプルなものだ。付けられた家紋は金色の菊と五七の桐で、菊は天皇家、五七の桐は豊臣秀吉を表す。単純ではあるが、菊と五七の桐が並ぶデザインは権力を示すには非常に効果的な造形物である。

桜図 長谷川久蔵 智積院

来期のNHK大河ドラマは豊臣兄弟!だ。豊臣秀吉と弟の豊臣秀長の兄弟の半生を描く。

尾張で生まれた木下兄弟は、木下藤吉郎秀吉の立身出世によって、羽柴姓となり、その後、豊臣氏を賜るまでとなった。秀吉が全国制覇の裏には、陰日向に活躍した秀長視点の物語となる。

兄弟二人三脚で進んできた豊臣兄弟だが、国宝的には秀長が1591年に亡くなったことで、秀吉の派手好きが覚醒した。この派手好きとなったものが文化財として残っている。

智積院の桜図などは秀吉の息子である鶴松の弔いの為に制作した。この屏風は長谷川派に依頼したもので、等伯や息子の久蔵が描き上げた。金箔を全面使用して派手な出来栄えで自然の変化を描いている。この頃、狩野派が一大勢力となっていたが、大事業にも関わらず新興勢力であった長谷川派に依頼した。もし、長秀が生きていれば、この派手派手な名作が誕生していなかったかも知れない。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。