国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

絹本著色十二天像 西大寺

奈良博で開催中の「空海 KUKAI - 密教のルーツとマンダラ世界」展の第1章(密教とは̶ 空海の伝えたマンダラの世界)は、東新館2階の展示場全体を使ってマンダラ世界を再現していた。奈良博で一番広い会場全体を使っているにも関わらず、9件(点数はもっと多い)の文化財だけで構成しているのには驚く。(その内で弘法大師坐像は象徴的な意味合いですみっこに展示していたので実質8件)

西大寺の国宝・十二天像は12幅すべてを展示する気合の入れよう。東博・奈良博・京博とバラバラに寄託されているので、一度に集まっての展示は珍しい。

この十二天像は空海が関与したと分かる制作時期の竜猛・竜智像や神護寺高雄曼荼羅とは少し様式が異なるそうだが、それ以降の空海の影響が残っている時代に制作された。人の大きさほどある作品だが、12幅を一列のショーケースに並べられる東新館の広さに感動しつつ、経年劣化で傷みがあるなかでじっくり見る。印象に残ったのが見開いた目の瞳の部分がまん丸で真っ黒に描かれている点だ。天も眷属もいっしょで、瞳孔が開きっぱなしの単調な印象を与えている。この黒い瞳が眷属の牛などには無垢なイメージがつき、可愛らしく見える。西大寺のマスコットとして眷属グッツを作ったら売れそうだ。

 

五智如来坐像 安祥寺

奈良国立博物館で開催されている「空海 KUKAI - 密教のルーツとマンダラ世界」展は、仏教美術の殿堂である奈良博の企画力を遺憾なく発揮された素晴らしい展示会となっていた。

事前に知り得た情報では、この展示会の目玉は神護寺の国宝・両界曼荼羅が修繕後に美術館で初公開される点であった。展示品の中で目玉展示であることは疑いようはなく、そこに空海関連のものが出品されるだけだろうとたかをくくって訪問した。

1階入り口で受付を済ませて、階段を上がり右手に東新館2階の展示室入り口から内部ちらっと見えた。その瞬間、いつもの奈良博の特別展と雰囲気が違った。奈良博で一番広い東新館の展示室に間仕切りがしていない。大抵は2階の入り口から初めに見えるのは間仕切った壁に展示会の名称ロゴだが、今回は一番奥の正面に展示している両界曼荼羅(通称:血曼荼羅、前期のみ)まで見渡せた。この違和感が入ると確信に変わった。

中央に安祥寺の五智如来坐像が十字にフォーメーションを組んで鎮座。右サイドには大日如来坐像とショーケースに十二天像、反対には不動明王坐像とショーケースに五大尊像と真言八祖像が並ぶ。正面に入り口から見えていた両界曼荼羅図とその前に両部大壇具が置かれ、真言密教がこの場所で行われてきたかのような風景を再現していた。この後、密教のルーツに関するものや曼荼羅などの展示が西新館にて公開されていたが、東新館の空間は実践的な空間となっていたのだ。

このライブ感を作り上げている主人公は安祥寺の五智如来坐像である。これまで何度となく京博でお会いしてきた。横一列に整列しての展示(京博のスペースの問題)で、それぞれの像をじっくり見てきたつもりだ。にも関わらず、奈良博で見る五智如来坐像はなぜか躍動感を感じる。これはまるでテレビで見るアイドルとライブで生き生きする姿の違いのようであった。そこでシンクロしたのがperfumeだった。たまにテレビなどで見るインタビューやMC、ゲスト出演など、それはそれでよいのだが何か物足りない思い出見てしまう。それが歌い出す(と言っても見たのはNHK紅白歌合戦かプロモーションビデオ)と、圧倒的なパフォーマンス力で心をわしづかみされる。奈良博でフォーメーションを組んだ五智如来坐像も同じ感覚だった。横一列もそれはそれでよいが、十字に配置することでマンダラが完成し、東新館に密教的支配空間を作り上げていた。

五重塔 興福寺

興福寺五重塔の修繕工事が始まっている。ソメイヨシノが散り切った時期に訪れたが、工事現場へ入れないように囲いが出来ていた。まだ、五重塔は覆われていないが、しばらくすると全体が覆われるだろう。薬師寺東塔の修繕工事はかなりの期間がかかったが、興福寺の塔もそれぐらいはかかるだろう。

巨大なクレーンと並ぶ五重塔。しばらく見納めの国宝の五重塔となる。

姫路城

兵庫県加西市にある一乗寺を訪れる際、乗ったバスから桜が満開となった姫路城が見えた。帰路に行くしかないと思い、最寄りのバス停で降りた。

姫路城は写真に見るように快晴に誘われて多くの人で賑わっていた。城の目の前にある公園では多数ある木下でブルーシートを広げた家族ずれが大挙して花見を楽しんでいた。もちろん、観光地として大人気の城であり、桜の季節にあたるので観光客もわんさか来ていた。外国人観光客も多く、駅前と城周辺だけ京都かと思わせる多言語地帯となっていた。

平成の大改修からかなり時間が経ち、当初は真っ白だった屋根はほどよく黒くなり、お城らしい威風堂々とした佇まいとなってきた。姫路城を1周してみたが、あらゆる場所に桜が植えられており、この時期に来てとてもよかった。なんでも公益財団法人日本さくらの会がさくらの名所100選を発表しているが、姫路城はその一つに選ばれている。公園や城跡が多く選ばれている中、国宝の城では松江城と姫路城の二つのみ。白亜の城と桜のコラボレーションはどこで撮っても映え写真となる。

三重塔 一乗寺

播州にある一乗寺の宝物館は基本的に2週間前までに予約が必要で、行ったから見ることが出来るシステムではない。ただ、例外があり4月と11月の第1日曜日は事前予約なしで見ることが出来る。ちょうど桜か紅葉の見ごろの季節で、それに合わせる形で見に行った。

一乗寺の国宝といえば、絹本著色聖徳太子及び天台高僧像の10幅で、最澄天台宗展を初め、東博の国宝室や奈良博の珠玉の仏教美術などで展示されていた。そもそも宝物館には現物はなく、東博、奈良博、大阪市立美術館に分かれて寄託されている。本物の代わりとして宝物館には便利堂によるコロタイプで高精密複製されたものを展示していた。近くでじっくり見ることができたが、そこは複製品。経年劣化による傷みの表現には限界が見えた。

宝物館は入り口近くにあり、本堂へは階段を登らなければならない。その途中に国宝の三重塔がある。相輪伏鉢に承安元(1171)年の刻銘があり、建立年代は平安時代末期といことが分かっている。多くの塔は見上げるのみだが、一乗寺の本堂は三重塔より上に作られていることから見下ろすことができる。相輪伏鉢の銘までは読み取れないが、あまり例を見ない塔の鑑賞方法が味わえる。

一乗寺西国三十三所巡礼の26番札所ということで、道路が整備されていて交通の便はよい。バスの本数が少ないのは地方では仕方ない。姫路駅から気軽に行くことが出来る古刹となっている。

天守 彦根城

国宝の建築物はたいていの場合は現地に行けば見ることができる。なので、国宝巡りをする上で、近くに行ったついでに見ることが多い。数をこなすうちに国宝建築物の大半を見ることが出来た。これまで国宝を単に観ることに主眼をおいて見てきた。ここらで付加価値をつけた国宝を観たいと考え、夜の彦根を訪れた。

今年の桜は当初の開花予想よりだいぶ遅れて花開いた。彦根を訪れたのは4月の第1週の週末で、8分咲きといったところだ。彦根城の桜の見どころは石垣から堀にかけてこぼれ落ちる桜。それがライトアップされ光で浮かび上がる。同時に、水面に反射しシンメトリーな景色が現れる。もちろん国宝の天守閣も水面に写る。この時期だけの特別な風景。城郭内でも桜のライトアップが行われていた。昼間の花見酒の喧騒とは違い夜はおとなしい花見客が多かった。

ライオンと村上隆 村上隆

国宝とのかかわりという意味では少し遠く感じた作品であった。

現場で見た時は題名の通りライオンと村上隆の作り上げたキャラクターが並ぶ作品だとしか思えなかった。ところが帰って画面上で写真に撮ったライオンをじっくりと見ると獅子に見えた。背中に乗せている球体が鞠で、唐獅子へと想像を膨らませていたのだ。まさかの狩野永徳の唐獅子図屏風からの発想?に見えてきた。

kokuhou.hatenablog.com

歩き疲れた親獅子が休憩している間、子供の唐獅子が無邪気に遊ぶ。永徳の作品のその後を描いた。絵柄としては後ろ足のあたりの模様は永徳の作品にそっくり。そう言えば、唐獅子に手毬は中国古来の求婚の風習からきているそうで、題材としてよく使われている。その一方で、唐獅子と牡丹が定番なのに村上隆風の花で仕上げている。そこがカモフラージュして唐獅子と見抜けずにいた。この作品は熱心なコレクターのオーダーに応えることで生まれたそうで、桜の花なのはそのせいかもしれない。

現代アートとして売っていくには全体がファンシーな雰囲気が好まれる。そにに古典的教養を平面画でつなげるには最適解になっている。隠れミッキーならぬ隠れ唐獅子(ど真ん中にいる)だったとは、現場で気づくべきだった。

takashimurakami-kyoto.exhibit.jp

桜も散り始めたが、京都市京セラ美術館ではまだ満開。

これって時期によって変化?するとすれば、図録もまだ販売されていなかったのでまた見に行きたい。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。