国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

宋版史記(黄善夫刊本) 巻五八 国立歴史民俗博物館

これまで県単位で運営している歴史博物館を色々と見てきた。国立歴史民俗博物館はそれと同じ構成で、時系列に日本全体の歴史を展示していた。
日本の歴史にフォーカスを当てているということは日本の歴史教科書に準じることとなる。そのためもあってか、全国各地からの展示物が陳列されていた。と書くと本物がきているように思うが、大半が複製品であった。国宝の土偶たちや国宝の出土品、国宝の書跡、金印など、軽く数えただけで20件以上の国宝レプリカがあった。実物が集められたらプチ国宝展レベルになる量である。

県単位の歴博でも複製展示はあるが、国立であることもあり仕上がりが本物に近い。解説文にある複製の文字があって初めてレプリカだと気づくレベルだ。この複製のレベルでマネキンたちも作られている。そのため、古代の人々を再現したゾーンでは観客かマネキンか迷ってしまう域に達していた。恐ろしささえ覚える完璧さが国立歴史博物館にはあった。
国宝を観続けたことで、複製との出会いであっても非常に楽しめる内容であった。あの国宝は東京で出会った。あれは福岡、京博や奈良博でも見たなど、それぞれに思い出が蘇った。しかし、ここに来たのは国宝の実物を観るため。印刷文化のゾーンにお目当ての作品を展示していた。
宋版史記は印刷技術が格段に良くなった宋時代の書物。史記集解・索隠・正義の三注合刻本で全130巻が完存している現存最古の本である。南宋時代に民間の出版家である黄善夫が出した本で、書道の大家が書いたと思わせる書体を再現している。それまでの手書きの本では出来なかった厳密な校正をした出版物でもある。不朽の歴史書が正確な校正と印刷技術によって大量に生産できるようになり始めた頃の本を歴博で定期的に展示しているのはありがたい限りだ。かなり広い博物館で、展示数も多く、すべてをじっくり見ていると時間が足りない。見たいものを絞ってから、目に付いたものを見ていくスタイルの博物館であった。

達磨図 向嶽寺

昨年の平田寺に続き、国宝1点を見るために遠征した。

今回は山梨県立博物館。開館20周年の最後を飾る特別展「山梨の禅宗文化」を開催している。そのオープニングから9日間のみの公開なのが向嶽寺所蔵の国宝・達磨図である。

この達磨図は滅多に公開されるものでないので、この機会に是が非でも見ておきたい国宝だった。とはいえ、山梨県博物館へ行く公共交通機関(路線バス)の本数が少ない。甲府駅から出ているが、富士山駅まで行くバスが博物館を経由するが1~2時間に1本しか出ていない。甲府駅を10時40分出発のバスに乗り、博物館を目指す。途中に箱根駅伝で名前を知った山梨学院大学の校舎を通過して、これだけ山に囲まれた地域ならトレーニングも充実できると思った。そうこうしているうちにバスが博物館に到着。降車者は3名と以外に少なかった。車移動が中心なのだろうと思って駐車場もそこそこ埋まっている程度だった。禅をテーマにした特別展なので地味だと思い、地物との人は足を運ばなかった。

山梨と禅のイメージが湧かなかった、日本で臨済宗を広め建長寺を創建した蘭渓道隆が蒙古襲来の時期に元の密通者と思われ甲斐国(いまの山梨)に移送された縁が始まりのようだ。その後、禅僧で作庭家としても知られる夢想礎石が幼き頃に甲州に移住し同地で仏門に学んだこともあり、名禅僧との縁深い地域となった。

展示会の最初に展示していたのは達磨坐像。ダルマといえば手足のない丸っこいものを想像するが、おじさんの像である。衣の細工が丁寧にされていたのが見どころで、垂れ下がり前掛けのようになっている部分までしっかりと作られていた。

そして2番目に国宝の達磨図を展示していた。滅多に公開されないものではあると思って見ると素晴らしと思えるのだが、俯瞰で見ると毛深いおじさんだった。顔など素肌が露出部分は細かく描かれているが。赤い衣部分は大胆に素早く描いているように見えた。どこかで見た技法だとひらめくと、雪舟の慧可断簡の達磨と同じ手法であった。南宗画様式で描かれたものを雪舟は吸収して自分の絵に活かしているとは、さすが国宝指定を6点も受ける画家である。

達磨図の見どころは他にもある。賛を書いたのが蘭渓道隆だそうだ。まさに臨済宗を広めた張本人が禅を体現した人物画のために書いた。山梨の禅宗文化と謳う展示会では見逃せない作品のはずだが、短期間の展示と言うのが残念である。来場者は少ない展示会だったが、禅の一端を知れる内容だった。

 

金光明最勝王経 巻第八 西大寺

国宝を観ると謳っておきながら、永らく見過ごしてきた博物館がある。国立歴史民俗博物館だ。
歴博は複数の国宝を所有しており、常時何らかの国宝を展示していることは知っていた。ただ、首都圏から微妙に遠い佐倉市にあるので、足が伸びなかった。佐倉市は、昨年に亡くなった長嶋茂雄の出身(印旛郡臼井町生まれで1954年の市町村合併で佐倉市となる)ということを知り、そろそろ行かねばと思い立った。
歴博は京成佐倉駅が最寄りで電車で向かう。駅に降り立つと、駅舎の看板には“桜”駅との文字があった。町全体が桜推しで、郵便局でも桜を推していた。早咲きの桜は咲いていたが本格的な時期ではなく来る時期を間違えたかもしれない。駅から歩いて十数分で歴博の入り口にたどり着く。東京駅から佐倉駅までは1時間ぐらい掛ったが、着いてから博物館まではあっという間だった。
歴博は佐倉城跡に建っている。そのため防御機能が高い小高い丘の上に建物がある。足軽たちの気持ちになって坂を登って向かう途中に臼杵の磨崖仏が自然の中で展示されていた。いきなりテンションの上がる展示物と遭遇できた。城だった名残の土塁に囲われた管理棟の壁には大きく「歴博」と立体看板があるのも、昔の博物館や美術館らしくてよい。
入口から受付でチケットを購入する前、ロビーにも立体展示物があった。東福寺の三門と根来寺の大塔のミニチュアで再現した模型である。ミニチュアといっても人の大きさぐらいあるもので、東福寺の三門は輪切りにして、中まで見えるようになっていた。ともに国宝建築物で、いきなりの出迎えで国宝好きにとってテンションマックスで入場する。
高揚する気持ちとは裏腹に、国宝の本物までなかなかたどり着かない。第二会場王朝文化の章でようやく西大寺の金光明最勝王経巻第八の展示があった。鳥獣戯画が東博と京博に分かれて寄託されれているのと同じ理由で、災害など不慮の事象に備えて遠隔地に分けて寄託されてものだ。西大寺本は奈良時代写経された金光明最勝王経で10巻すべて完存する貴重な経典である。写経生によって書かれた美しい漢字は見て惚れ惚れする出来栄えである。展示の近くに写経生がどのような形で書いていたを再現した実物大のマネキンの展示があった。机と筆などの道具があり、そこで書き写す作業をしていたことが分かる。この狭い空間でどこで見ても見惚れる金光明最勝王経が書きあげられたと想像すると「起きて半畳、寝て一畳」ということわざを思い出した。仕事をするのに広いスペースは必要ないということだ。

一品経和歌懐紙 京博

京博1階の廊下には竹の絵が飾られていた。単なる竹の絵ではなく、尾形光琳が描いた竹虎図の虎を除いたものである。虎はどこへ、、、。もちろん、京博のマスコット・トラりんとなって立体化して、絵から飛び出たのだろう。遊び心ある京博だが、平安時代の貴族たちも負けてはいない。

1階で展示されていた国宝の一品経和歌懐紙は「詠~」で始まる統一形式で書かれている。これが寂蓮や西行など平安時代末期を代表する歌人や名筆家に、法華経二十八品の内、一品を選んで主題として和歌を詠ませたものになっている。
選んだ主題と詠み人は漢字でしっかりと書かれて、続く和歌は流れるようにさらっと書かれている。和歌の部分は達筆すぎて何を書いているか読めないが、これぞ平安貴族の優雅な遊びとなっている。
よく展示会で見るのが掛け軸になっている西行のもので、鎌倉時代初期が企画内容の時などによく見かける。今回、初めて見たのが、冊子帖になっている一品経懐紙だ。まるで、大鑑のような手本帳形式で懐紙を綺麗に貼っていた。豪華なラインナップを持ち歩いて見せびらかすため、折り本にまとめて保管したほうが都合がよい。この帖には紅葉図が付属しているが、この作者は土佐光起で江戸初期に最高の絵師を使って仕立てられたことが想像できる。今早春の京博企画展では刀がクローズアップされがちだが、書の展示も見逃せない内容だった。

 

太刀 銘 則国

京博所蔵の則国は初めて見る。平安時代末期に東山の粟田口に工房を持つ三兄弟、国友・久国・国安が起こした粟田口派の系譜で、則国は国友の子供とされる。現存作品数が少なく、熱田神宮の所蔵の太刀とこの京博所蔵品が傑作とされている。
長さのある太刀の割には刀身全体が細身で先へ行くほど細くなっている。刃文もストレートなため全体がスレンダーに見える。急激な反りがなく、ゆるやかに反っている。王道を歩むみやこの刀の最高峰である。鳥取藩池田家に伝来した刀。擦り上げされているため、則国の銘が残るギリギリのラインで切り取られていた。銘の位置から考えると元々は相当長かったことだろう。

太刀 銘安家 京博

京博の特別展や企画展は平成知新館で行っている。2月の三連休に企画展を見に行ったが、たまたま旧館を使用してアーティストフェアが開催されていた。耐震などを踏まえた工事が一向に進まない中で、歴史ある旧館を少しでも稼働させていく取り組みは見にいく立場からすれば同館内での古い思い出も思い起こすので非常にありがたい。コロナ前の刀展でも利用していたことを思い出すことができた。

規模はコロナ前の特別展に比べると小さいが刀の企画展では京博所蔵の国宝刀2振も登場する充実ぶり。同館所蔵の安家は長さが77センチある刀で目釘孔は2つ、茎は生ぶな貴重な刀である。伯耆、今の鳥取で誕生した刀工・安綱の系譜である安家の作品で現存するものは極めて少ない。少ない貴重な作品であり、擦り上げがない点でも国宝に相応しい。彫られた銘「安家」の文字ですら優雅に見える。博多の黒田家伝来の平安時代の作品となっている。

 

太刀 銘正恒 文化庁

古備前の名刀工・正恒が作った日本刀の国宝指定は5振ある。その内、2振が文化庁の所蔵となっている。今回の展示では摺り上げがなく目釘孔がひとつしかない生ぶの方が出品されていた。

太刀と書くと長くて太い、鎌倉武士が帯刀する力強いものを想像する。しかし、平安時代の終わりの刀工の作品である正恒はスレンダーな印象を受けた。長さはあるものの、刀の幅がそこそこしかなく、先に行くにつれて細くなっているためだ。これぞ日本刀の原型とも言えそうな秀でた作品だからこと、擦り上げされずにそのまま伝らいしてきた。縁から伝わる優品だった。

国宝拝観者たちの夢、千件越えをいつの間にか達成した。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標が完結した。 次の1100件は果てしなく遠いので、1050件を一区切りにしよう。