東塔と西塔は當麻寺の伽藍中心からは少し外れた山側にある。ともに三重塔で、山腹の高台に位置している。双塔伽藍は奈良時代に流行り、両塔が今も残っているものは當麻寺が唯一である。
焼失の危機は1181年にあった。平清盛の命により、平重衡が興福寺、東大寺など南都焼き討ちを行った際、興福寺の末寺であった當麻寺も被害を受けた。奇跡的に二基の塔と曼荼羅堂(本堂)は焼失を免れ、今に至っている。まさに大河ドラマの鎌倉殿の時代の話である。
塔は天平時代に建てられたもので、東塔は法起寺についで日本で二番目に古い三重塔である。西塔はそれより後の平安初期に造られた。日本の塔で、西塔が残っているのは珍しい。當麻寺自体の伽藍は京都の大寺院や南都の興福寺や東大寺に比べると狭いが見どころが多い境内である。