禅宗のように己に研鑽する修行だと見栄えは必要ないが、鎮護国家を謡う宗派は見栄えが大事になる。興福寺は政府の中枢を担ってきた藤原家と関係の深いお寺。いまでも奈良市内に広い境内を残し、東大寺や春日大社とともに観光名所となっている。
興福寺中金堂鎮壇具は明治維新後の1874年に、興福寺建立の際に地の神を鎮めるために埋められたものが中金堂の基壇から出土した。総点数は30数種、1400点余りで奈良時代以前の寺院の鎮壇具の発掘量では最大級となる。ヤマト王朝が奈良へと遷都した際に造られた寺院で、大陸からの使節団を迎える重要な場所でもあるので、粗相のないよう最高級の備えをした品々である。
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