延暦寺第5代座主・円珍は最澄の孫弟子にあたる。初代座主である義真の弟子で、12年間の籠山行や唐へも渡って修行し、黄不動や新羅明神像等の美術品も日本にもたらした。しかし、同じく最澄の弟子である円澄が第2代、続けて最澄の代講を任された円仁が第3代、最澄と円仁に学んだ安慧が第4代の座主となった。円珍は最澄から直接薫陶を受けない初めての系譜で、座主になる前に比叡山から下った坂本の地・園城寺に伝法灌頂の道場を設けたことから派閥でき、園城寺を中心とする派閥が寺門派、比叡山を中心とする派閥が山門派と称されるようになった。
寺門派の心のよりどころである円珍こと、智証大師の生き写し的坐像が国宝となっている。顔が独特の卵型の輪郭で、少し尖った頭頂部が特徴となっている。国宝の智証大師坐像は2つあり、今回展示しているものには遺骨が納められている。仏舎利ならぬ円珍舎利像だ。
近くで見るとかなり頭がでかく、胸板も厚い。東大寺の勧進を行った重源上人坐像や公慶上人坐像などの老人感とは打って変って、若々しくハツラツとした力強い坐像となっている。