国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

善女竜王像 金剛峯寺

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高野山は夏が終わり、葉っぱがうっすらと赤みを帯びていた。いつの間にか名宝展も後半の3期が始まっていた。せっかく年間パスポートを買ったのに、真夏に行く機会を逸したので9月に入ってから見に行った。

後半の展示では前半にあったものがいくつかなくなっていた。まず、新館入り口にあった写真撮影用のパネルが撤去されていた。基本的に館内撮影禁止なので、名宝展が終わったら撤去されるのだろうと思っていたが、期中に撤去されるとは…。そして、八大童子立像がいる運慶作品部屋では照明を使った宇宙空間の演出も終わっていた。派手な演出で個人的には好きだったが、パネルとともに高野山では似つかわしくないものだったのかもしれない。

さて、入り口はこれまで通り、本館放光閣から入るコースで、こちらは前回と同じメンバーが陳列されていた。後半ということで廊下の展示が一新されていて、霊宝館開館の式辞と建設報告書、秩父宮が当地まできてお手植をしたことが分かる資料が展示してあった。1000年以上も前の資料が残っているのだから100年前のものが残っていて当然なのだろうが、残し伝えていくことの重要性を改めて感じる資料であった。

いよいよ展示替えのある紫雲殿に入る。メインの位置にある阿弥陀聖衆来迎図は1期で見た国宝の複製。それを囲む両界曼荼羅図は清盛自身の頭の血を混ぜて描いたされ、血曼荼羅と言われているものなど、これぞ仏画というものが出ていた。

これらの仏画の構図は別の寺院所蔵のもので何度か見たことがある。しかし、善女竜王像はあまり見たことがない。空海の名を轟かせた事象として、日照り続きの京で雨乞いの儀式を行い、見事雨を降らせたという逸話がある。その儀式でカギとなったのが善女竜王だ。

天長元年(824年)、全国的に干ばつが続いたため朝廷は雨乞いの修法を執り行う事にした。山階寺興福寺)の守敏僧都に祈雨を命じ、一週間修法を行った結果、都に少しだけ雨が降った。それではどうにもならないので、新進気鋭の僧侶である空海に白羽の矢がった。空海は宮中にある神泉苑で修法を一週間行うも雨は降らなかった。おかしいと思い調べたところ、空海に嫉妬していた守敏が龍神を封印していたことが分かった。ところが、善女竜王のみが封印を免れていたのが見えたので、空海が池から呼び出し3日3晩雨が降り、空海の名声はさらに高まった。

この実務家としての空海の業績を元に、平安後期の画家・定智が描いた善女竜王像は国宝となり3期に展示されていた。善女と書いているので女性かと思いきや中国官服を着た男の神のように描かれている。神様なので男女の区別がないのかもしれない。この神に龍が巻き付いている。まるで漫画の幽☆遊☆白書で人気のあった飛影の必殺技・邪王炎殺黒龍波を放ちそうなぐらい一体化していた。

この善女竜王像は渡り廊下から見える位置に展示していた。この展示会では紫雲殿の入り口にあたり、一番目立つ場所であった。なお、今年の夏、雨の日が多かったのはこの展示があったから?なら凄い効力を未だに有している。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。