「伊能忠敬」展が神戸市立博物館で開催されていた。伊能図を上呈して200年を記念しての展示会となっている。子供連れが多く来ていたが、今やGoogleMAPがないと不便を感じる(昭和生まれの)スマホユーザーたちが、伊能忠敬の足跡と細かく書かれた地図を見て、すごいとの感想が次々に漏れていた。だが、再現しようとは誰も考えていなかったことだけは間違いない。
まず、伊能忠敬は日記をつけて測量に取り組んでいたので、いつどの場所で計測したかが残っていた。道具は辺りまでだがアナログのものばかりで、文字通り足で稼いだ測量であったことが分かる。さらに、この測量自体が自費(家業を隠居した際の慰労金?)で活動していたのだから驚く。彼は何をもってそこまで駆り立てたのかが全く理解できない。しかし、この測量への情熱がやがて幕府に認められ日本全土を測りまくることにつながり、それを地図へと落とし込んだ。まさに前代未聞の作業であったことは想像できる。
この地図が西洋へと渡り、日本の底知れる粘り強さの一端を見せたことで、明治維新の時に植民地にされなかったとも言われている。伊能忠敬のおかげで今日の日本があるのかもしれない。
さて、展示はご当地である神戸が載っている瀬戸内の地図を展示していた。大きさだと両界曼荼羅図ぐらい大きな紙に西日本全体が描かれていた。そこに地域名を示す文字が細かく書かれているため、子供と年寄りが口々にどこにその文字があるかと聞いていた。望遠鏡を準備して見に行くことをお勧めしたい。
色々な地域の地図が展開されていたのだが、何点か観ている内に食傷気味になってきて、飽きてくる。変化がほぼない地図を観ているのだから仕方ない。地図にある地域で同時代に使用されていた古民具などを展示する変化があっても面白かったかもしれない。