観心寺には国宝が3点ある。観心寺縁起資材帳は残念ながらほとんど公開していない。如意輪観音坐像は特別公開の2日間。そして、金堂はもちろんいつでも見ることができる。ただ、せっかく金堂を見るのならば特別公開の日がおすすめである。
室町時代に再興された建物で、禅宗様と大仏様を取り入れた当時のはハイブリット様式となっている。特別公開日には内陣まで入ることができるので、仏壇前の両脇にある両界曼荼羅図を描いた板壁をじっくり観ることが出来る。仏壇のお経をあげる位置から見える内側の面の両界曼荼羅もよいのだが、興味深いのは外面の四天王像図である。仁和寺の観音堂内部に描かれている仏画のタッチにそっくりで、真言宗の繋がりを感じることが出来た。
空海が大陸から戻ってきてしばらく状況出来ない時期に、西国三十三巡礼地の四番札所の槇尾寺に身を寄せていた。観心寺はその徒歩圏にあり、京と高野山を行き来する道中に位置する。また、高野山から40キロメートルあるので、初日に泊まる場所として活用されるなど、立地的に重要な場所が観心寺となる。修験道が開いた場所で、土木に明るい空海が注目し、楠木正成によって歴史のひのき舞台へと押し上げた。南朝側が強硬な態度で北朝と対峙し続けていたら、この地が首都になって、観心寺が政治の中心地になっていたかも。