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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

短刀 銘左/筑州住 (太閤左文字) ふくやま美術館

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敗者の歴史はどの国でも残りにくい。時代を支配した勝者は自分色に染めるため痕跡を消すことが多い。まして約260年も続いた絶対的政権ならばなおさらである。

豊臣の痕跡の中で、比較的多く残っているのが土木関係である。川の改修工事や土塁、寺社仏閣建築など、政治性よりもインフラや信仰心など変更させる必然性に乏しいことやその労力を比べてそのままの方が都合がよいと思われるものである。京都の北野天満宮の敷地内にある土塁も秀吉の遺構とされるなど、人知れず残っている。

一方で、武士の象徴となる城は徹底的に破壊された。大坂城はその典型で、秀吉時代の城跡を埋めるような形で徳川の大坂城は建築された。そのため、発掘する豊臣の大坂城の痕跡が出てくる。今回の展示会でも瓦に金が残っているものが展示されていた。信仰心で残っているものとしては、奉納されたものは多く残っている。高台寺北政所が秀吉の冥福を祈るために建立されたので貴重な品々が今回の展示会でも貸し出されている。

武士として秀吉の関連の品では短刀の銘左/筑州住、通称太閤左文字が登場。遺愛の一振りで、徳川家康に贈られ、その後は秀忠の指料となったとされている。浜松藩主である井上正就へ下賜され、昭和初期まで井上家に伝来していた来歴がはっきりとしている短刀である。

刀以外に同じ室内にはビロードマントや羽織も展示されていた。きもの展で多くの品々を見ていたこともあり素晴らしさが良く分かり、国宝の太閤左文字があるにも関わらず主役を奪っていた。

このほかに狩野派の絵や秀吉の死後の豊臣関連、黄金の茶室の再現などもあった。全体的に展示点数が少ないのが残念だった。コレクション展と合わせた数くらいはあってもよかったのではないか。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。