国宝の鑁阿寺本堂は足利学校にほど近い場所にある。足利氏の氏寺で、もともとは館があった場所である。寺の周りは土塁と堀がそのままで、武士の館であった面影が残っている。幕府が開かれた鎌倉が観光地になっているのに比べて、足利は尊氏以降、上洛して政治を行ったため、地元に還元するようのな取り組みがなかったのか観光資源はそれほど多くない。
鑁阿寺は足利家の氏寺として、歴代の足利将軍像を祀るなど、室町幕府の威光を現代に伝えている。本堂は1299年に建てられたが、その後1400年の前半に大規模な改修工事が行われ、現在の形となった。足利家が建立に貢献した京都の大寺院同様に禅宗様の建物である。密教系寺院なのに禅宗様仏堂なのが足利家と禅宗の関係性を物語っている。天龍寺船で大もうけした足利氏が故郷に錦を飾った遺物として、また関東では珍しい禅宗様建物の古い例として国宝となった。