山口県防府市にある阿弥陀寺。国宝がなければ行くことはなかっただろうが、行ってとても勉強になった。
東大寺の別院である阿弥陀寺(山口県防府市)は、重源上人の大勧進の成功に欠かせない場所にある。重源上人の像は運慶展でも一、二を争う人気があり、この春には東北まで遠征していた東大寺再興の立役者である。宋に3度渡り、栄西とともに帰国するなどエピソードも豊富だ。
そのエリート僧のハイライトは白羽の矢が立った源平争乱で焼け落ち東大寺の再興だ。その原資として周防国の税収を一手に引き受けた。ただ、引き受けただけではなく、中国から土木技術を導入して周防の木々を奈良まで運ぶ算段をつけた。その他、西行を派遣して東北から砂金を工面したり、時の権力者である後白河法皇や九条兼実、源頼朝に浄財を寄付させたり、あの手この手で再興を成功に導いた。
その重源が阿弥陀寺に残したのが湯施行で、今で言うサウナである。昨年の夏に東大寺でも鎌倉時代の風呂釜を公開していたが、それと同じ仕組みで血行促進効果などで疲れが取れ、作業者はもちろん地域住民にも人気となったことだろう。
さて、肝心の国宝は鉄宝塔。重源が鋳造を依頼したもので、文字が刻まれた部分は鋳造とは思えないはっきりとしていて、技術水準の高さをうかがわせる。後に中国地域はたたら製鉄により大きく発展していたったが、もしかしたら、重源がその技術も導入したのかもしれない。
鉄宝塔の中には水晶五輪塔が入っていたようで、いまは鉄宝塔の横並びで展示されている。こちらもレベルの高いもので、舎利が水晶内に入っていて、信仰の対象物としてはとてもできがよい。金の稼げる地域にはよいものが残るということだろう。
おまけとして、山門にあった重要文化財の仁王像も少しの間、宝物館で展示されている。現在、山門の改修工事(火災などの防災設備を地下に埋めている)で、安全のために移動している。この移動で普段は絶対にみることができない背中部分まで至近距離で見ることができる。かなりの補修箇所があるのと当時に、長年の風雨にさらされた結果、指などが朽ちてきていた。半面、山門で隠れていた背後は、筋骨隆々で出来た当時もこんな感じだったのだろう。本山のモノとは比べるのもおこがましいが、こちらのものも力作であることは間違いない。