先週のBS日テレのぶらぶら美術・博物館では仁和寺展の特集が放送されていた。そのためかアクセス数も若干伸びた。テレビの威力を改めて感じた。と同時に、テレビの限界も感じた。どうしても尺の問題からすべてを紹介することはできない。また、インスタ映えではないが、絵になるものを優先的に取り上げてしまう。仏像はその点ではかなり見栄えがするし、有名人の書(空海)もキャッチ‐である。しかし、仁和寺が門跡寺院としての役割を語るうえで、医についても取り上げてほしかった。
当時は病院などなく、庶民は病気やけがなどは民間療法の域で直していたのだろう。しかし、公家ましてや天皇に対してはそんなことでは済まない。そこで、門跡寺院で医療分野を研究させていたのだろう。内裏内では権力闘争などで、医療もままならない状況になるかもしれないが、寺院ならば安心といったところだろう。また、大陸との交流も仏僧ならばなんの違和感もなくでき、最新の医療書を持ち帰ったのかもしれない。
仏教が単なる思想的なものでなく、当日としては最先端の化学も担っていたことになる。高倉天皇が出した宸翰が出産の件だったことも、医療機関にお世話になったお礼だと思えば納得である。