狩野派の祖とされる正信の作品。息子の元信が土佐派の娘を娶ったことで、大和絵の技法を得て、狩野派を確立した。
その前の絵で、狩野派と聞いてイメージする派手さはない。8代足利義政の御用絵師として、山水画の基本をきっちりと固めた絵を納めた。同じ部屋にある周文や如拙などと比較すると賛がないことに気がつく。絵として観ていたいため、賛を敢えて書かなかったのかもしれない。
正信以降、下克上の時代に突入して、狩野派は武士たちの需要増加に答え、多くの作品を残した。未来人の目から見ると才能があるのに生存時に売れなかったゴッホの絵を時代を経て観ている感じになる。