中国留学は海を渡って行き来することから極めて危険な旅であった。留学に当たり幾艘も難破して留学・帰国ができないことがざらにあった。そのため、留学を終えて無事に帰って来ることはそれだけで誇れることである。雪舟などは中国へ留学したことを常に自慢していたそうだ。
それほど、困難な海外留学事業は昔は国費で行われていた。貿易も兼ねていたことから、帰国後したのち、朝廷へ品々を献上した。その献上品を仕分けして書いた目録が請来目録である。朝廷(留学の出資者)への報告書であるため、非常に丁寧で分かりやすく書かれている。弘法大師が持ち帰ったものの目録も最澄が書いたようで、この留学を仕切ったのが最澄だったからだろう。芸術性はないが、真面目さが伝わる書跡である。