国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【東博150年】灌頂幡

寺院を飾る荘厳具の一つ。本堂など大きな建物内で、普段とは違う雰囲気を作るため天井から吊り下げて使う飾り付け。かなりの高さから吊るため、80センチほどの細工された板状のものを蝶番でつなげて仕上げる。つなげると5メートル以上になる。

この板への細工が素晴らしく、透かし彫りで如来や天人、雲、唐草文を表現して、吊り下げることで仏教空間に仕立て上げる。僧侶にとって重要な灌頂という儀式で用いるため、当時の最高の技術で作り上げた逸品となっている。普段は法隆寺宝物館で吊るして展示しているので、よく見れない個所もあるのでショーケースでの展示で見てみたい。

レア★☆☆
観たい★☆☆
コラボ★☆☆

emuseum.nich.go.jp

【東博150年】竜首水瓶

ドラゴンヘッドというタイトルの漫画があったが、こちらはドラゴンネックの水瓶。

水瓶の造形を利用して注ぎ口を長く首に見立てて、蓋部分に竜の顔を付けることで手足のない竜に仕上げている。胴体に当たる貯水部分には有翼の天馬が刻まれていることから、シルクロードで伝わってきたペルシア風の天馬と中華圏で人気の竜が融合した水瓶となっている。

レア★☆☆
観たい★☆☆
コラボ★☆☆

emuseum.nich.go.jp

2021年を振り返る

2021年はコロナ後のニューノーマルが見えてきた年であった。

オリンピックの開催を1年延期したのと同様に展示会も延期されたものが次々と開催された。鳥獣戯画展を初め、三菱150年の至宝展、京の国宝と大型企画展がスライドして開かれた。中でも京の国宝展は京都市京セラ美術館のリニューアルオープンを記念した展示会であったが、延期に伴い場所を京都国立博物館へ移しての開催となった。そのため、当初予定していた国宝の展示数から京博独自で集めたものを加えて、大幅に増加しての国宝の展示となった。災い転じて福となすとはなった。

さて、2021年の国宝トピックスとしては周年・遠忌が重なった年である。平安仏教の2大教団、真言宗天台宗それぞれで展示会があった。前者の真言宗高野山にある霊宝館が建って100年を迎えた記念展示会。4期に分けて、高野山にある寺宝たちを惜しげもなく公開した。なかでも、運慶作の八大童子はミラーボールの演出もありワクワクする展示となっていた(なぜか後期はなくなっていたが…)。天台宗伝教大師遠忌1200年記念展で、東京、九州、京都と巡回する展示。今年だけでいうと東京が無事閉幕したが、2022年に九州と京都で開催する。天台宗関連の寺院から集まったお宝に加えて、地域性を加味したものを各地で展示するため、各地でしか見ることができない内容も含まれている。東京展には智証大師坐像(御骨大師)が展示されていたが、思いのほか人気がなく、じっくり見ることができた。遠忌ではもう一人、国内仏教の最初の布教者である聖徳太子1400年展も開催された。こちらは法隆寺系(奈良博と東博)と四天王寺系(大阪市立美術館サントリー美術館)での開催で、どちらも縁のある品々が展示されていた。なかでも法隆寺系は秘仏聖徳太子像が至近距離で見ることができ、それだけで満足のいく展示出会った。四天王寺系も国宝の剣が西で丙子椒林剣、東で七支刀が1つずつの展示となっている。刀剣ブームではあるが、刀剣女子たちが対象としている時代以前に作られた剣なので、混雑の心配はない。

周年の展示会で目を引いたのが、三菱150年の至宝展。三菱財閥系の3館(静嘉堂文庫、東洋文庫、三菱1号館美術館)が所有する名品を集めただけの展示会。三菱が集めた中には国宝が12件もあり、重文クラスも多数ある。その中から選りすぐられたもののみが展示されていた。中国から招来した国宝の書たち(重文もあったが)に囲まれる部屋は圧巻で1年遅れとはいえ、よく開催してくれた。

最近よくある形式では展示館がリニューアル工事中のため、違う場所での特別企画展を開催するものである。数年前に藤田美術館の所蔵品を奈良博で展示(12月にも一部展示)していた。この形式で東京・白金台にある畠山記念館の所蔵品が京博で公開。関西では同館所蔵品を一堂に展示するのは初めての試みだった。茶道具を中心とした展示ではあったが、その関連で床の間に飾る煙寺晩鐘図などがあり、茶会で使われている様子が思い浮かぶ展示となった。あと、能の衣装を展示しているショーケースの背景を能舞台風に木目にアレンジしていたのはオシャレな演出だった。また、雪舟と玉堂展のような地域縛りや、奈良博三昧のように保有美術品をフルに生かした展示会など、アイデアで乗り切る展示会も増え、楽しめる内容が多かった。

新型コロナウイルスが発生するなど海外からの入国が難しい現状において、美術館も海外作品を借り受けことが当然難しくなっている。展示会の企画自体は数年かけて行われているので、企画の打ち合わせ自体が難しくなっている現状においては来年度あたりからコロナ以降の新規企画が反映され始める。その意味で複数の海外美術館からの借り受けて企画された特別展は至難の業となりそうだ。その意味では数年間は国内にあるお宝を展示するものが増えるのは間違いない。その筆頭が東博150年を記念した東博国宝展だろう。この展示会は改めて言うまでもなく一押し。来年の秋が今から楽しみである。コロナの平穏化(終息はとうぶん無理だろう)を望むばかりだ。

最後に今年7月、三の丸尚蔵館所蔵品が国宝の指定を初めて受けた。指定基準が変わったためだが、これにより大量の国宝・重文が誕生してもおかしくない。(外国人にも分かりやすくするため)よいものを良いと指定するのはいいのだが、もともとは御物だったものなので、元御物でよいのではないか。もしくは国宝や重文を歴史的価値や美術品的価値、所有歴価値など意味をつけてもおもしろい。今回の基準替えは国宝、重文などを1番、2番の意味で単純な順位づけにした指定基準替えに思える。分かりやすくの前に意味のある分類にしてほしい。

【名画の殿堂 藤田美】両部大経感得図 藤原宗弘筆

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今年の最後に見た国宝は両部大経感得図であった。奈良博の名画の殿堂展でも最後に飾られていたので締めるのにふさわしい作品である。

2メートル四方の襖絵となっているが、もともとは廃寺となった内山永久寺の須弥壇の建具で、曼荼羅の裏側に描かれていた。裏側にあったため、比較的保存状態がよく保管しやすい状態に仕立てた。

内容は密教の2台根本経典である「大日経」と「金剛頂経」をそれぞれ善無畏と龍猛が感得する場面を描いている。ただ、絵巻物などと違い、一場面だけが描かれているので動きがあまりない。両絵画は塔が中心に描かれており、仏教(密教)において塔が重要な地位を得ていることが分かる。

【名画の殿堂 藤田美】玄奘三蔵絵 巻第四 高階隆兼筆 

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藤田美術館は2022年春にリニューアルを終えて展示を再開する。この間、兄弟的な施設で隣接する太閤園が売却され、ホテルとしての運用を終えるなど周辺の雰囲気が変わってしまった。一番変わったのがもちろん藤田美術館自体である。以前は古びた建物に蔵内展示とレトロな美術館だったが、前を通った感じではガラス張りのおしゃれな建物に変身していた。所有する美術品を売却して得た資金で最新の設備となった美術館を早く見たい。

その前の露払いではないが、奈良国立博物館藤田美術館が所有する名画のみを借り受けた展示会が開催されていた。同館と言えば曜変天目茶碗が頭に浮かび、それを目当てに訪れることが多いので名画のイメージは薄い。しかし、国宝2点を有するだけでなく、明治期の画家の傑作も保有しているようで、改めての展示会となった。

出迎えてくれたのはメインビジュアルにもなっている竹内栖鳳の大獅子図。もともと大きな作品だが、見ていると実物より大きく見えてる迫力を感じる。毛並み一本一本が丁寧に書かれており、巨大な絵でも手を抜かずに精密に描き切っている。印象派の絵とは真逆の仕上がりにため息しかでない。ただ、名画展の出品作は圧倒的に日本画と中国画で、洋画はこの作品のみだった。

国宝指定を受けている玄奘三蔵絵は次の部屋に展示していた。玄奘の一生を記した内容を高階隆兼が描いたものである。シルクロードから渡来する品々が増えたと同時に、玄奘が仏教の原点を求めて旅して物語も伝わって来た。それを誰もが分かりやすく伝えるための道具として鎌倉時代に視覚化された絵巻物である。

作者の高階隆兼は御所の絵所に所属する絵師で、筆とされるものに春日権現験記絵、石山寺縁起絵巻などがある。官製作品ということは依頼があって作り上げたものとなり、武士の世の中になっていた鎌倉時代に、過去の歴史を描くことで公家の正当性を主張する役目を負っていた。歴史を語り継ぐためには誰もが分かる高い芸術性が必要なのだろう。

浄土堂 浄土寺

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浄土寺の国宝は阿弥陀三尊像を安置している浄土堂も指定を受けている。阿弥陀三尊像が巨大なため動かすことは不可能に近いので堂自体を付けたしで国宝にしてもよさそうだが、別々で指定を受けている。

お堂は阿弥陀仏の光背まで計算して建てられているので、ジャストフィットとなっている。それだけならどこにでもあるお堂だが、浄土堂は配置まで計算されている。夕方、西日が差してくると、ちょうどお堂内に光が入る込む。この光が床に反射し、阿弥陀三尊像の背後から光が差しているように見える。西方浄土という思想からヒントを得た演出だろう。浄土寺自体が少し高台にあり、周りに光を遮るものがないため出来る。

お堂は本尊を風雨から保護する目的があるが、光の演出に使っているお堂は見たことがない。慶派の仏像造形のすごさに加えて、見せ方までも考えている良い事例だ。

木造阿弥陀如来及び両脇侍立像 浄土寺

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しばらく国宝を観に行けていなかったので、久しく行っていない浄土寺へ行く。奈良博で2017年に開催した快慶展以前に訪れているので、4年以上前に行ったっきりであった。

浄土寺へは直行するバスがコミュニティーバスのみで、そもそも直行バスの本数が少なく電車の都合で11時29分発、12時着の便がもっとも見に行きやすい時刻となっている。コミュニティーバスということで、運賃は100円と安いのはありがたい。病院経由で、少し遠回りであるが定時に到着して、いざ拝観と胸躍らせる。ところが、思わぬ落とし穴があった。12時から1時は昼休憩で拝観中止とのお知らせが入り口前に書いてあった。真相を確かめるため、浄土堂へ行くも同じ内容の記載があった。バスの到着時間をなんとかしてほしいと思いながら、1時間待ちぼうけとなる。

この1時間を使って、寺の裏山に作られた東山四国八十八箇所石仏群を回る。どれもしっかりと作られた石仏ではあるが、風雨にさらされている関係で石製の厨子は傷みが激しいものが多かった。この八十八ケ所巡礼は30分ほどで終えてしまい、時間を潰すため境内から下った場所にある歓喜院を訪ねる。

浄土寺塔頭寺院である歓喜院は近代的な造りの庭園と、新しい本堂が建っていた。かっこよく仕上がった枯山水の庭園は昼休憩が終わるまでのゆるやかな時間を過ごすには最適で心を穏やかにしてくれた。

心が落ち着いたところで、いざ国宝とご対面。快慶作の木造阿弥陀如来及び両脇侍立像は阿弥陀様が5メートル、脇侍が3メートル近くある巨大仏像である。お堂内にはその3体しかなく、まさに三尊を安置するための厨子的な役割となっている。厨子的な内側に入っているためなのか、柵がない。もちろんおさわりはNGだが、近くで見ることができるのはありがたい。ただ、巨大なため、近づきすぎるとかえって見えにくい。

仏像は運慶作のような厳つさがない、快慶作にみる穏やかな表情が印象的な作品である。阿弥陀様が浄土へお導きしてくれる雰囲気ととても合っている。国宝でこれだけの巨体は東大寺の廬舎那仏は例外として、東大寺法華堂の仏像群や南大門の阿吽像、南円堂の不空羂索観音菩薩坐像などがあるが、兵庫県の小野市で見ることができるのは不思議な感覚だ。由緒では鎌倉時代東大寺を再興した重源上人とかかわりの深いお寺と書かれていた。快慶作が安置されたのはその縁からだろう。(もしかしたら地域の人たちが東大寺再興にかなりの協力をしたものか。)

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。