桜の名所は数あれど、歴史に名を遺す名所は醍醐寺がもっとも有名だろう。なぜなら、豊臣秀吉が朝鮮戦争を仕掛けた最晩年のイベントとして、醍醐寺において大花見大会を開いたためだ。九州平定後に開いた北野の大茶会に匹敵する催し物として知られている。
国宝を観て回る以前は醍醐の桜がとても綺麗だから開催したぐらいにしか思っていなかった。しかし、国宝を観て回る内に、貴族出身で醍醐寺座主の義演と秀吉の政治的結びつきを知ったため、政治的なショーが強いイベントだったことが分かった。花見は口実で醍醐寺に有力者を集めて権力を見せつけるだけでなく、義演に対しての政治的なアピールにもなっている。
さて、訪れた頃の桜だが早咲きの枝垂れ桜は散っていたが、ソメイヨシノは満開で入口から三門までの桜は零れ落ちそうなぐらい咲き乱れていた。境内に入ると台風の影響で倒木した木々が切り倒されていた。金堂までの短い道のりは開けた道となってしまい、以前の木々で視線が遮られて神秘感のあった雰囲気は全くなくなっていた。
国宝の金堂は秀吉が平安時代後期の建物を移築の確約をして、息子の秀頼の代になった1600年に落慶した建物。中には重文の薬師如来と日光月光両菩薩に四天王のそろい踏み。仏像たちは少し遠い位置なのが残念だった。