国宝を観る

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国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

大山祇神社 紫綾威鎧 伝源頼朝奉納

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昨年に続き、しまなみ海道に来た。ここに来たら見逃せないのが、大山祇神社の国宝館だろう。奉納されている平安から鎌倉時代までの武具は、国宝・重文クラスが多数あり、それらが常設で展示している。同じ瀬戸内海にある厳島神社にもかなりの文化財はあるものの、こちらの常設館は展示数が少なく、国宝はすべて模造品。秋の特別展は別の場所で開催する程度だ。なのに、観光客は大山祇神社の何十倍も来ている。観光地として、しまなみ海道および大三島が注目されてもよさそうなのだが、橋の交通費が高いのネック。

さて、所有する国宝8件すべてを展示
・沢瀉威鎧(伝越智押領使好方奉納)
・紫綾威鎧(伝源頼朝奉納)
・赤糸威鎧(伝源義経奉納)
・紺糸威鎧(伝河野通信奉納)
・禽獣葡萄鏡
・大太刀 銘貞治五年丙午千手院長吉(伝後村上天皇奉納)
・牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵(伝護良親王奉納)
・大太刀 無銘(伝豊後友行、附 野太刀拵)

鏡が白村江の戦い向かう戦勝祈願で奉納したようで、ここが奈良時代には交通の要所として関所となっていたことが分かる。百舌鳥古市古墳群海上から来る渡来船に向けた広告塔だったとすると、瀬戸内の重要性は古代から変わっておらず、 大山祇神社厳島神社が海運の利権を牛耳っていたのだろう。
また、源平合戦では、頼朝・義経組が平家の残党狩りで下関まで追い込むことができたのが瀬戸内の海賊たちの協力があってのことだったのだろう。武士はしょせん陸軍なので、平家(厳島を信仰)も源氏(大山祇・河野家)も海賊たちを頼らなければならない。奉納物の数々はそんな貢献度合いを示した貢物だったのだろう。
さて、国宝ではないが展示の中で2階の階段口近くにある大太刀の大きさが圧巻だった。2メートルは超える長さ、重さ5キロ近いものを奉納している。実用品でなく切れるか微妙だが、ベルセルクのガッツが使っている大剣を彷彿とさせる。
あとは鎧類が旧国宝館に多く展示していて、そのどれもが重要文化財クラス。にも拘わらず、建物が古く温度管理や空気の流れを管理できない構造で、博物館としての保管には向いていない。未来のため保管に向いた建物を新築してほしい。その間なかなか貸し出しての陳列を見たことがないので、大都市圏でしまなみ美術の巡回展を開いてほしい。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。