九博の開催中の醍醐寺展の後半に行く。
後宇多天皇の宸翰(直筆の書)は東寺や大覚寺、神護寺所有のものが国宝となっている。後宇多天皇は2歳で皇太子、8歳で天皇となり、21歳で譲位した。若くして天皇になるが、その頃の政治は院政と藤原家の摂関政治の板挟みであった。また、譲位した時には後深草、亀山の両上皇が健在で、院政を独占するにも一苦労だった。そして、後宇多法皇が(息子の言うことなので仕方なく)院政に終止符を打つことで後醍醐天皇の親政が始まり、歴史は大きく変化することになる。
そんな後宇多天皇は密教を力の源泉としたようで、多くの書が真言系の寺院に残っている。醍醐寺展では後半の初めだけ後宇多天皇の宸翰が展示している。長寿延命を願ったもので、どの時代も権力者の欲望は長生きになる。