写真は国宝の模造品。
極楽浄土、末法思想、池泉型寺院がへ西暦1000年頃に流行った。釈迦入滅から1000年が経ち世の中が変わる終末という考えが流行、当時の権力者である藤原氏が阿弥陀にすがる寺院が乱立した。仏教がまだまば権力者のものであったこともあり、国家鎮護のためから一部の権力者の心のよりどころへと変化したのもこの頃かもしれない。
その浄土信仰を建物で表したもののひとつが宇治にある平等院鳳凰堂である。もともと藤原家の別荘があった場所で、京都からも近く絶好の立地となっている。その梵鐘が国宝指定を受けている。本物は院内にある宝物館に展示している。天女が描かれており、一突きするだけでも天国へ行けそうな図が散りばめられている。