ブラタモリでも取り上げられた聾瞽指帰。24歳の空海が高級官吏の道を捨てて仏門へ出家する決意を書いた書物である。決心を固めるために起草したので筆圧は力強い。空海は様々な顔がある。密教の伝道師にして宗教家、書道の達人、治水事業の監督などがある。前の2つは国宝展でその一端を観ることができる。治水は四国の満濃池の改修工事やなにもなかった高野山を一大宗教都市に仕立て上げるなど、治水の知識が相当あったのだろう。おそらくは官吏の限界を超えて、大きな事業を成し遂げる近道として宗教があったのだろう。その点が仏教に愚直だった最澄との評価の違いがある。それなくして今日の弘法大師は語れない。