国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

釈迦如来坐像 蟹満寺

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JR奈良線棚倉駅から徒歩で20分。大きな一戸建てと田んぼ、線路や川を渡った先に国宝を所有する蟹満寺がある。蟹満寺は木津川の支河沿いにあるので船が往来していた時代には好立地だったのだろう。今昔物語に出てくる蟹の恩返し縁起で有名なお寺で、堂内には蟹が至る所にある。

だいたい国宝を保有している寺は古くからあるので、建物はそれなりに歴史を感じる風情。しかし、蟹満寺は平成22年に建て直されたので風情は全く感じない。逆にこんな新築仏閣に本当に国宝仏像があるのか疑いたくなるぐらい立派な建物である。

受付を経て、横の入り口から堂内に入る。お堂は建て直されて10年ぐらいだが、国宝の釈迦如来坐像はその時の調査で創建当時から同じ場所にあることが証明され、地域の守護し続けている。坐像は高さ2.4メートルあり、かなり大きな仏像である。奈良時代以前から天平の間に作られたと考えられていることから、蘇我氏聖徳太子などが斑鳩の地で信仰していた大陸仏教の影響を受けた仏像彫刻となっている。近くで見るとだいぶ傷んでいることが見える。しかし千年以上も経っているにも関わらずほぼ現状を留めているのはすばらしい。

入唐求法巡礼行記 円仁記 兼胤筆

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京都国立博物館は毎年恒例の干支にちなんだ動物の展示と、各テーマごとの名品ギャラリー展となっている。改元があって初めてのお正月というとことで、紫宸殿障壁画や各神社の狛犬・獅子の彫刻、源氏物語絵巻などにぎにぎしい展示となっていた。

書籍のコーナーでは「いにしえの旅」と題して、日本や中国大陸での旅路を記録した書籍が展示してあった。円仁の入唐求法巡礼行記は遣唐使として大陸へ渡った円仁の一大旅行記で、現代なら旅ブログになるのだろう。3度目の渡航でようやく大陸へとたどり着いた円仁が大陸を渡る歩き、廃仏運動にもめげず空海最澄が持って帰らなかった経典類を集めて帰国するまでの一大記である。原本は失われているが兼胤が書き写しものが現存する最古のものとなっている。この功績から延暦寺の第3代座主となり、円仁を慕う弟子たちが山門派と呼ばれるようになる。法然も尊敬していたそうで、冒険談はいつの時代も夢見る男の子のあこがれの対象なのだ。

八角堂 栄山寺

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平安時代に国内を牛耳った藤原家。その南家の菩提寺が栄山寺だ。藤原南家自体は奈良時代恵美押勝の乱により失脚してしまった。藤原家全盛の時代だったことから栄山寺自体は鎌倉時代まで栄えた。しかし、藤原家の没落とともに寺勢はなくなり、一時は無住の寺までに荒廃し、ほそぼそと残っている。

さて、各時代の首都に近くない位置にあったのが幸いして、奈良時代に建立された八角堂は残った。古い建物が多く残る奈良の中にあっては珍しくもないが、平城京と飛鳥・斑鳩地区以外にある建物としては相当古い。

八角堂の由来になっている外観は八角形だが、建物内の内陣は四角形で天井画が施されているなど、奈良時代の技術の結晶的な建物となっている。周りは山に囲まれ、川沿いにある静かな寺。親戚同士が争う鬱蒼とした平城京から逃れ、遠く離れた場所で先祖を弔うにはちょうど良い場所かもしれない。

梵鐘 栄山寺

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国宝の梵鐘は14点ある。その保管方法には2種類あり、風雨にさらされながら現役バリバリのものと、国宝になったので鐘としてではなく工芸品としての保管するため新築の建物内に保管するものがある。現役は東大寺円覚寺建長寺當麻寺観世音寺がそうである。一方で保護目的で突くことができないのが興福寺、西光寺、佐川美術館所有で、現役を退いて2代目へバトンを渡して引退したパターンが妙心寺平等院である。

栄山寺の梵鐘は新しい建物内で保管される。奈良県五条駅から歩くこと30分弱でたどり着く田畑が多い場所にある。誰もいない受付を経て、すぐに見える比較的新しい白い建物内に梵鐘は保管されている。入口は鍵がかけられているので中には入れないが、窓は木をはめただけなので隙間から見える。平安に造られた鐘で神護寺平等院とならんで平安三絶の鐘として知られる。鐘の表面いっぱいに由緒が書かれていて917年製造だと分かる。国宝の梵鐘を所有している中には導入しているところもがあるが、技術の進歩で音を簡単に録音・再生できるのだから録音した音色が聞けるシステムをぜひ入れてほしい。

慈眼院 多宝塔

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関西国際空港に近い日根野駅から歩いても行ける日根神社。犬鳴山へ向かうバスに乗るとすぐに着く神社だ。神社自体は何の変哲もないどこにでもありそうな村を守る神社で、正月なので地域の人が初詣出客にお接待している。入口には一軒だけ露店が出ていたが、昔はたいそうにぎわっていたかもしれない。

神社がにぎわいを当て込む理由がひとつある。神仏分離で各地の寺社と仏閣は切り離されたが、神社の境内をまたがないと行くことのできない慈眼院という仏閣が神社内にある。この慈眼院は金堂(重要文化財)と塔があるだけでかなり手狭である。手狭な分、境内を苔で覆うことで雰囲気は醸し出している。多宝塔は国宝に指定されていて、公家の九条家直営荘園が日根にあったことから歴史的な塔となっている。日本三名塔(ほかは石山寺高野山の金剛三味院)のひとつとなっているが、他二つは有名寺院内にあり、大きさもそこそこなのに対して、地味な慈眼院の多宝塔は10メートルと総本山系のお堂よりもかなり小さい。鎌倉時代建立された歴史的価値が国宝へと押しやったのだろう。

極楽坊五重小塔 元興寺

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国宝建築物で五重小塔は2件ある。小塔は本物を小さくした模型のようなもので、解体すると持ち運びも可能な大きさ。ともに奈良県にあるのだが、ひとつは海龍王寺にあり、もうひとつが元興寺にある。

本体の塔自体が落雷や突風、地震などの自然災害に弱く、戦災や放火など火にも弱いことからよく失われている。小塔模型を作ることで作り直すための最高の参考資料になり、大工の創意工夫をそのまま継承することができ、再建するときの最良の手本ともいえる。しかし、作った当時の寺社の勢いがあれば簡単に進むかもしれないが、時代が流れてお布施も集まりにくくなり、パトロンもいないとなると小塔だけが残ってしまう。いつしか、本物を再建する野望どころか寺社の境内が召し上げられてしまい、再建スペースがなくなってしまい夢敗れてしまう。そんな歴史の証人としての価値のみとなった小塔でも作った当時の大工が本物に負けないぐらいの手の込んだ細工が施されている。工芸品ではなく、建築物扱いなのは大工の造りし物だからなのだろう。人が誰も入れない建物が国宝に2つもあり、それほど遠くない場所にある。京都にない奈良だけの魅力なのにほとんど伝わっていないのが残念だ。

元興寺極楽坊本堂

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近鉄奈良駅から商店街を向けると奈良町に入る。繁華街からは離れた住宅地で、少し古びた街並みの中には飲食店もところどことあり、観光客もよく歩いている。

街中にはなるのだが、昔はこの場所すべてが元興寺の境内だったというぐらい名門寺院には国宝が4つある。ひとつは奈良博に寄託している薬師如来立像で、これだけは現地では見ることができない。そして、巨大寺院で会った名残りである極楽坊本堂は現役バリバリの建物である。内陣が中心にあり、360度すべてを観ることが出来る。なので外陣が回廊にみたてて歩くことができるので念仏を唱えながら周回する行道となっている。屋根瓦には飛鳥時代から使われている瓦もあるそうで、歴史の古い寺院なら。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。