国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【京博名品展】金銀鍍宝相華唐草文透彫華籠 神照寺

籠の網目部分を工芸品として加工し、金銀で鍍金したもの。唐草文様は蔓植物が曲がりくねりながら無造作に伸びていく様を表したもの。古代ギリシャメソポタミアで意匠として使われていてシルクロードをを通じて、唐・朝鮮半島経由で日本にもたらされた。唐草文様というと緑をベースに文様の入った風呂敷がおなじみだが、実物を売っているところや使っている人は見たことない。泥棒がほっかぶりしているイメージがあるので、昔は誰もが簡単に手に入れることができたアイテムだったが、一時的なブームが去って見かけなった部類かもしれない。さて、神照寺の籠は奈良博でも展示されていて、こちらも華やかな草花が細工されていた。

【京都名品展】剣 無名 金剛寺

古代中国の歴史ドラマを見ていると両刃の剣を使っている。金剛寺の国宝・剣も両刃で日本刀に比べると刀身が太い。斬るというよりも打ち倒すために振られ、刃先で怪我をすれば儲けものぐらいの戦闘に使用した。日本刀のように片刃は切れ味が大事になり、加工技術の向上無くしては誕生しない。不動明王が持っている剣も両刃で、神の世界でも技術力は近世の日本に追いついていなかったものかもしれない。

【京都名品展】小葵浮線綾文様衵 熊野速玉大社

染物エリアは、一式指定の熊野速玉大社のものが出品。

熊野信仰の総本山、熊野速玉大社へ寄進された名品の数々。最近、いろいろな博物館で陳列しているので観る機会が多い。今回の京博でも寄託している名品が出品。

文化財になった場合、保管をきっちりできる場所(建物)の確保が必要になる。寄託することで、その場所の確保が不要になり、文化財保護の整った施設で保管される。しかし、手元から遠くへ保管場所が変わるので、常時公開ができない。和歌山県の新宮まで見に行くのはかなり遠いので、都会の博物館での公開はありがたい。昔の人が熊野詣の願掛けで奉納したものが、京都に戻って保管というのは、奉納者にとって願掛し甲斐がない。ただ、もう千年近く経っていることを考える願いが成就していなければ叶わない願いだったということなのだろう。

【京都名品展】古林清茂墨蹟 月林 長福寺

古林清茂は元時代の禅僧で、その門下には了庵清欲、竺仙梵僊、日本の月林道皎、石室善玖などを輩出した名伯楽である。俗姓が林だそうで、「はやし きよしげ」と読めば親近感がわくが、古がついて「くりん せいむ」と読むようだ。

名伯楽は弟子たちに多くの書を残している。モンゴル帝国であった元では仏教は非主流派であり、弟子たちは日本側からの要請もあり禅宗を広めるため数多く来日している。その来日僧は優秀な人が多く、古林の弟子もその中に入っている。異国で頑張る弟子たちにエールを送る書は、見ているだけで前向きになる迫力がある。

【京都名品展】禅院額并牌 東福寺

禅寺は簡素な生活で修行を積む中で、いろいろな教育を受ける。その一つは書である。いまご朱印ブームで、寺院は勿論神社などでも墨で書かれた朱印を授けている。もともとは写経を収めた証明的なものだったそうだが、いまやスタンプラリーの代わりになっている。一日に何度も同じ字を書いていると集中力が切れて間違いそうになるが、すべてきっちりと書けるのは修行の賜物だろう。

禅院額并牌は無準師範が博多の承天寺の開山のために弁円へ送った書。首座や浴司といった2文字を太く力強くしたためている。この力みなぎる書は博物館のような狭い空間で見るのではなく、寺院の大きなお堂で見上げてみてみたい。

【京都名品展】菩薩処胎経 知恩院

知恩院の御影堂の大修理が今年ようやく終わり、1年かけて仏具荘厳の搬入や堂内設備工事などがあり、来年4月に晴れて落慶法要が行われる。この御影堂は国宝で、国宝建築は改修ラッシュで、東西の本願寺や二条城、滋賀の延暦寺、奈良の薬師寺東塔などあちこちで大修理が行われている。国宝を維持管理し、次世代に繋ぐ大切な事業だが、その間は観ることができない。国宝好きにとっては再会するまで待ち遠しい日々を過ごす。

その知恩院の寺宝も京博に寄託している。菩薩処胎経は釈迦の涅槃(他界)前後を題材にしたもの。ほかの経に比べて効果が高いと言われ、CM風に言うならば当社比10倍(個人による感想)以上の効果があるそうだ。この菩薩処胎経の2から4巻は西魏時代550年のもので、世界最古の伝世写経である。色々な宗教の経典がそうだが、教祖が自身で伝えたものより、文才のある弟子たちが残したもののほうが流行る。象徴としての教祖とそれを支える名も並みプロジューサーがあっての宗教なのだ。

【京都名品展】宗峰妙超墨蹟 開山 妙心寺

力強い「開山」の字。禅寺に掲げるにふさわしい墨跡。臨済宗の僧・宗峰妙超こと大燈国師が起毛した。宗峰は花園上皇後醍醐天皇などの帰依を受けた。大徳寺を開山したことでも知られ、南北朝時代を渡り歩いた。藤原家を支えた旧京都の仏教勢力と違う、新興勢力の禅宗が勃興することで鎌倉幕府から南北朝室町幕府と京が政治の中心へと返り咲いた。まさに新政府の開山となった記念碑的な書だ。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。