国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

西本願寺 書院

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西本願寺の国宝、書院は非公開で周りを塀で囲まれているため、なかなか観ることができない。
そんな特別な国宝を毎月16日に行われるshinran’s dayに参加すると観ることが出来る。虎龍殿で受付を済ませ、少し時間があったので境内を散策。そこで驚くべき光景があった。書院を囲っているはずの塀が改修工事で崩されており、簡単に目視できる状態になっていた。まさかの国宝との対面。
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見学は書院の内部を観るものなので、外観をじっくり観ることができたのはラッキーだった。
集合時間である10時から御影堂での法要に参加し、それを終える(11時前)とすぐに参加者を集めて書院の見学が始まる。江戸初期の創建で、豊臣家の遺構の移設に加え、二条城と同時期ぐらいの建築なので内容は二条城の縮小版的な印象が残った。狩野派の集団制作で作られた眩い黄金の絵で権力を象徴しつつ、日本最古の北能舞台重要文化財の南能舞台枯山水「虎渓の庭」など、来客を楽しませる工夫が満載。宗教施設というより、武家政権下での接待場所で、本宅の二条城の近くにある遊戯場的存在にあたる。極楽浄土に導くいち手段なのだろう。なお、参加費は無料で、この見学会では黒書院は見学できない。

大山祇神社 紫綾威鎧 伝源頼朝奉納

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昨年に続き、しまなみ海道に来た。ここに来たら見逃せないのが、大山祇神社の国宝館だろう。奉納されている平安から鎌倉時代までの武具は、国宝・重文クラスが多数あり、それらが常設で展示している。同じ瀬戸内海にある厳島神社にもかなりの文化財はあるものの、こちらの常設館は展示数が少なく、国宝はすべて模造品。秋の特別展は別の場所で開催する程度だ。なのに、観光客は大山祇神社の何十倍も来ている。観光地として、しまなみ海道および大三島が注目されてもよさそうなのだが、橋の交通費が高いのネック。

さて、所有する国宝8件すべてを展示
・沢瀉威鎧(伝越智押領使好方奉納)
・紫綾威鎧(伝源頼朝奉納)
・赤糸威鎧(伝源義経奉納)
・紺糸威鎧(伝河野通信奉納)
・禽獣葡萄鏡
・大太刀 銘貞治五年丙午千手院長吉(伝後村上天皇奉納)
・牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵(伝護良親王奉納)
・大太刀 無銘(伝豊後友行、附 野太刀拵)

鏡が白村江の戦い向かう戦勝祈願で奉納したようで、ここが奈良時代には交通の要所として関所となっていたことが分かる。百舌鳥古市古墳群海上から来る渡来船に向けた広告塔だったとすると、瀬戸内の重要性は古代から変わっておらず、 大山祇神社厳島神社が海運の利権を牛耳っていたのだろう。
また、源平合戦では、頼朝・義経組が平家の残党狩りで下関まで追い込むことができたのが瀬戸内の海賊たちの協力があってのことだったのだろう。武士はしょせん陸軍なので、平家(厳島を信仰)も源氏(大山祇・河野家)も海賊たちを頼らなければならない。奉納物の数々はそんな貢献度合いを示した貢物だったのだろう。
さて、国宝ではないが展示の中で2階の階段口近くにある大太刀の大きさが圧巻だった。2メートルは超える長さ、重さ5キロ近いものを奉納している。実用品でなく切れるか微妙だが、ベルセルクのガッツが使っている大剣を彷彿とさせる。
あとは鎧類が旧国宝館に多く展示していて、そのどれもが重要文化財クラス。にも拘わらず、建物が古く温度管理や空気の流れを管理できない構造で、博物館としての保管には向いていない。未来のため保管に向いた建物を新築してほしい。その間なかなか貸し出しての陳列を見たことがないので、大都市圏でしまなみ美術の巡回展を開いてほしい。

法華経一品経 慈光寺

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埼玉県立歴史と民俗の博物館で慈光寺所有の法華経が公開されていた。この歴史と民俗の博物館は国宝の日本刀2本所有していて、今回見に行った時はレプリカだった。慈光寺経は平成20年から修理が進められて平成27年に大々的に公開された。刀同様に常設ではないので、タイミングが合えば見に行きたい代物だった。

まず、博物館の位置が大宮駅から歩いて20分~30分ぐらいの場所で、氷川神社と一体となっている公園内の北の端にある。歴史博物館なので埼玉県の歴史がよくわかる作りである。各県の同様の施設には行ったことがあるが、海に面しない県なので川の幸と歴史が詳しくあり新鮮だった。

さて、経典だが後鳥羽上皇太政大臣だった藤原良経の死に際して供養のため、中宮宜秋門院を中心に写経をしたものだ。目録が付いて誰が書写したかが分かることが国宝になった理由のひとつだろう。納めたものだから誰かに読んでもらうために書いたのではないにしても、それぞれ達筆で書かれており装飾も含めて故人を偲び丁寧に仕上げている。書ではウマ下手な字が国宝になっているものもあるが、しっかりしたものを見ると国宝を観たという満足感に浸れる。

【東寺展】真言七祖像

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最近の東博の特別展は仏教系展示会の開催が多い。今回は東寺展で密教東密)の真髄を披露する展示となっている。

まず、展示会の出品リストをみるとほとんどが東寺からの出展で少しだけ京博と京都府のものがあるのみ。他の仏教系の展示だと系列の寺院から寺宝をかき集めて初めて成立するのだが、1つの寺院だけで展示会が成立する数のお宝を保有しているのはなかなかない。ただし、展示の方法が後七日後修法の祈祷場所の大掛かりな再現や、仏像の360度観賞用にゆったりと配置するなど、出品点数はこれまでの仏教系展示会に比べてそれほど多くない。

さて、会場でいうと第二会場の彫刻部は現地で観た方が迫力が感じられた。なぜなら立体曼荼羅として計算された配置での拝観に意味があるためで、個別の彫刻として見ると運慶展に及ばない。ただ、この機会を逃すと間近で見ることができなくなる。これらの平安彫刻があって初めて慶派が誕生するに至るので、空海の理想郷が奈良仏師の覚醒につながる重要な彫刻であるのは間違いない。

真言宗の宗派確立に尽力した七祖を描いた真言七祖像。空海を入れて八祖とすることもあるが、7祖はすべて外国人だ。インドから中国に渡る間に布教した教祖たちを讃えるために作られた。5幅は唐で作られたとされ、残りの2幅は空海が日本に戻ってから作らせた。すでに、奈良仏教が布教していて、鎮護国家の祈祷する役目を取り込むため、仏教発祥のインドから由来する真言宗の正当性を誇示する図なのだろう。真言系で伝わる七(八)祖像の元となる貴重な人物画であることは間違いない。

【美を紡ぐ】檜図屏風 (+唐獅子図) 狩野永徳

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トーハクでは「美を紡ぐ 日本美術の名品」と題して、国宝・重要文化財宮内庁の名品(御物)の豪華なコラボレーション展が行われていたので見に行った。

名品展は天皇陛下の在位の節目である10年ごとに東博で開催していた。今回も30年の節目に当たったので開催したのだろう。ただ展示会の開催時期と退位する時期が重なったため少しアレンジしたものとなった。なので、規模は4部屋での開催で全40点の出展数は少ないが、御物とトーハク所有のコラボ満載の展示内容となっている。

ほとんどの作品はクライアントの意向を十二分に理解して作られた至高のものでまさに絢爛豪華を絵に描いたものだった。その中で国宝・納涼図屏風(久隅守景作)と西瓜図(葛飾北斎作)が隣同士で展示しており、牧歌的な作品が最後の展示だったので、心を落ち着かせて見終えるための演出だったのかもしれない。

一番見たかったものは狩野永徳作の唐獅子図。小学生の頃、歴史の教科書で観て以来、いつか本物を見てみたいと思っていたもので、国宝が多く展示されるのならばと足を運んだ次第だ。その唐獅子図は入ってすぐに展示。まず、大きさに圧倒された。すぐ向かいには同じく永徳作の国宝・檜図屏風があった。国宝展で観て以来の再開だが、京博で観たときは檜の太さに圧倒され、かなりサイズのある作品だったと記憶していた。しかし、その幹の太さが自然に見えるぐらい唐獅子図は圧倒的な大きさであった。大広間にあった障壁画を屏風に仕立て直したようで、もっとも威厳の必要な場所に置かれていたことは想像に難くない。

唐獅子図は右隻が永徳作で、左隻は江戸時代に入ってから狩野常信が描いたものである。教科書などでみるもの右隻のみで、両方を一度に見ると圧倒的に永徳作がかっこよい。獅子は筋骨隆々としているが、たてがみのカール部分と体毛を円でなんとなく表現していることで柔らかさを醸し出しており、強さとやさしさが混在となった表現となっている。風景は狩野はらしい直線で豪快な岩を作りあげていて、この部分は檜図とも似ている。狩野派工房としての製作と、永徳の感性が爆発した唐獅子のデザインの奇跡の融合が楽しめる。御用絵師として狩野派が頂点を極めた時期の作品で、なんども見たい名品であった。

 

【根津美術館】燕子花図 尾形光琳筆


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テレビ東京系で放送している番組「美の巨人」の演出が今年度から変わてしまった。1人の著名人が芸術に向き合うコンセプトになっており、当たり外れが出てきそうな演出になった。

根津美術館でこの時期に公開されることが多い、燕子花図も取り上げられてた。文様としての繰り返しとふすまにして飾った時の奥行き感の話が出ていたので、見てみたくなった。

明治神宮から表参道を歩いて行ったが、天気の良い日だったのでかなりの人出。歩いて20分ぐらいの突き当りに根津美術館がある。こちらも人が多く、チケット購入に5分の列ができている。テレビの効果は大きい。そして、入場した第一展示室が屏風のコーナーになっていた。燕子花が一番人気かと思いきや、他の豪華な金箔屏風(洛中洛外図やお伊勢さん関連)の方が列を作っていた。やはり、国宝の神々しさに少し遠慮があるのだろう。

さて、燕子花図だが、同じ図案がところどころ繰り返しているにも関わらず、新鮮なデザインに感じる。いろいろな種類の動植物を描いて素晴らしいものは多くあるが、カキツバタ1種類(しかも同じもの)でここまで表現できるのはすごい。いろいろと書き足したい気持ちを抑え、花の配置でリズム感を出す。まさに「優雅」である。

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根津美術館の庭園のカキツバタ

根津美術館のよさは庭園が非常に広くいろいろの仕掛けがある点。そして、この展示会に合せてカキツバタが綺麗に咲いている。本物と見比べることができる展示場はそうそうない。

五智如来坐像 安祥寺

京都国立博物館に昨年から展示されている安祥寺の五智如来坐像が文化庁から平成最後の国宝指定の答申を受けた。それの前に同じ場所に鎮座していた金剛寺の大日三尊も国宝になったので、1階の彫刻展示コーナーは国宝候補お披露目の間と言ってもよいかもしれない。

五智如来坐像は平安初期の作品で、調査では851年から859年の間に作られたと考えられている。造られた時期がおおよそでも分かればそれが基準に他の仏像の年代も推測できるので重宝される。また、定朝により確立されたふくよかな浄土系仏像以前の恰幅はいいけどところどころ鋭い部分のある初期密教仏像の特長がある。仁明天皇の女御だった藤原順子が開いた安祥寺のためか仏像の表情は穏やかで見ていると安らぐ。

保存・修繕のために寺を飛び出して一時寄託されたものは調査も同時に行うので、新発見があった場合は国宝昇格に繋がることがある。千年以上前に作られたものを次の千年に繋ぐ重要な作業である。そのすき間を縫うように博物館で展示しているのでこの時ならではの貴重な時間の共有である。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。