国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

【泉屋博古館】 線刻釈迦三尊等鏡像

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京都・東山にある泉屋博古館は住友家が集めた美術品を展示している。東京の六本木に分室もあり、京都と東京それぞれで特徴のある展示を行っている。

今回は仏教美術展ということで、同博物館所有の国宝、線刻釈迦三尊等鏡像の展示があり見に行く。展示は特別展を毎回開催している別棟で、その会場の入り口近くに展示している。順路に従うと迂回した最後の展示物になるが、人が少ない場合は一番に見てほしい。

なぜならば、鑑の裏側がとてもよいからである。展示順路に沿うと最初に鑑部分に線で刻んだ釈迦如来三尊と前衛に仏像が並べて描かれているものを見ることになる。しかし、これは鑑が完成した後に描かれたものであるはずなので、無垢の鏡としてのよさが分かる裏面から見ることをお勧めする。裏面の文様の凹凸がくっきりしていて、外区の唐草と蝶、内区の花と鳥とてもよい出来である。同博物館・本館に展示している古代中国の青銅器や鑑の展示は質量ともに素晴らしい。時代が違うにしてもそれらと見比べることで、この鑑出来のよさを味わうことができるもちろん、鑑部分の線刻もかなりはっきりつ描いていて、鑑としては使いづらいだろうが、仏教美術としては申し分ない。

いつも思うのだが、あれだけ充実した青銅器の展示があり常設しているにも関わらず、季節の良い時期にしか博物館自体が開いていないのがとても残念。

【おまけ】

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京都国立近代美術館で行われていた東山魁夷展を見た後、綺麗な虹がかかる。京都市博物館が工事中なのが残念だが、金戒光明寺から東山に架かった虹が大鳥居とコラボした風景を観たおじさんが「いま見た魁夷の絵よりいい」と一言。名人の絵画も自然が起こす奇跡には勝てないということだ。

 

太山寺 本堂

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2018年夏、石手寺を訪れたその足で太山寺にも行った。しかし、西日本豪雨の影響で、本堂までの道が土砂崩れで通行止めになっていて社務所までで足止め。国宝を見ることは叶わなかった。

そして、数か月後に満を持して国宝の本堂を参拝した。

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前回は社務所までしか行けていないが、社務所の方からは「本堂は豪雨の影響はない」と話していたので、再訪問には抵抗が無かった。しかし、訪れてみてびっくりしたのが、家屋の正面で土砂崩れが起きていた事実である。数カ所で土砂崩れの痕があったが、一番激しい場所に建物があるとはなんというめぐり合わせなのだろう。建物の構造は保たれていたので、最悪の事態は免れたのが仏の加護だったのかもしれない。

さて、土砂崩れの悲惨な現場を横目にしつつ、急こう配を登ることおよそ10分。ようやく、境内らしきものが見えて来る。この場所に手水などあるが、本堂はその右上に見える山門まで登らなければ見えない。ここまで急こう配を登ってきたためか、かなりの疲労感があったがここまで来ればもう一息とばかりに階段を登る。

登りきると山門の正面に国宝の本堂が雄大な姿を現す。1305年、鎌倉後期に建てられたお堂は入母屋造り本瓦葺木造建築では愛媛県最大。ただ、山の中にあるため、京都や奈良のように平地にある寺院と比べると雄大さに欠けるような見える。比叡山でも感じるが、周りの木々の成長の年月が経っていることもあり、それらの方が高く、太い幹などがあることが、建築物の大きさが伝わらない原因なのだろう。

太山寺は四国八十八カ所のひとつでもあり、お遍路さんが参拝している。辺鄙な場所にあることもあり、巡礼以外の人は少なく、観光地化した石手寺に比べると殺風景にも思える。

太刀 無名一文字 山鳥毛

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国宝っていくらで買えるの?

そんな疑問に真っ向から答えを出したのが太刀 無名一文字、通称は山鳥毛。上杉謙信ゆかりの刀とあって、上越市が購入を希望し交渉していた。市の特別予算はもちろん、ふるさと納税や募金などを募って3億2千万円を計上し、交渉したがあえなく撃沈した。売却予定者が5億円以上の価値があると考えたからである。つまり、売り手の言い値ということになる。

幸か不幸か、売却されなかった個人蔵の刀剣は元の寄託先である岡山県立博物館で期間限定で展示中。売却報道があった時には岡山で見ることが出来る最後とあって話題にもなったが、出戻り国宝は案外人気がない。今秋は京博、近くのふくやま美術館などで刀剣の大展示会があり、ブームの再燃となりそうだが時期が少し早かったようだ。

山鳥毛はその名の通り、刃紋が羽根や産毛のように自然な形で開いたように見える。均一的な刃紋が多い中ではめずらしい。それだけでなく謙信・景勝が愛用したなど来歴もしっかり。備前刀の最高峰といってもよい。岡山県瀬戸市が購入に意欲を見せているようだが、出来るなら常設で陳列できる自治体が購入して欲しい。

富貴寺 大堂

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大分県の国東半島は修験道の研さんの場となっていたため、多くの寺院が点在している。今年は六郷満山開山1300年で、様々なイベントが開催しており、行くには絶好の機会である。しかし、本格的に寺院周りをするには本数の少ないバスしかなく、歩くにもアップダウンが激しいため長丁場を覚悟しないといけない。

さて、大分の国宝は数えるほどしかない中で、国東半島にある富貴寺の大堂はツアーで来ている客も含めて、「ここを見に行くぞ」と気合を入れないと来ることはない。なにせ、周りにこれといって観光施設があるわけでもなく、寺自体もそれほど広くない境内なので見るべきもの大堂以外にほとんどないためだ。

しかし、この大堂が国宝マニアは必見の建物。九州最古のかやの木で造られたお堂で、阿弥陀堂としては宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂とならぶ日本三大阿弥陀堂である。きらびやかなお堂がもてなす宇治や平泉が大観光地であるのに対して、行基葺きの地味な大堂は集客よりも信仰の対象であり続けることを選んだのだろう。

そんな富貴寺大堂は内部の壁画が見どころである。(戦争の空爆でお堂が一部壊れてそこからの)風雨や雨漏りなどによる激しい痛みにより、かすかにしか残っていない壁画は浄土信仰を表したもので、日本三大阿弥陀堂の名に恥じない出来栄えである。平安時代にトレンドだった彩色の壁画は、当時の人を熱狂させたことは間違いない。宇佐八幡宮奈良時代の政権とつながっていた流れから、藤原家の栄華を誇った平安時代の終末思想の流れからの極楽浄土を体現した大堂建立。中央との結びつきが強い豊国ならではの遺産だ。

宇佐八幡宮 孔雀文馨

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大分が日本の歴史上最初に注目されたのは769年の宇佐八幡宮神託事件だろう。

奈良時代孝謙上皇は対立していた藤原仲麻呂を失墜させると、重祚により称徳天皇となった。その片腕が道鏡で、僧籍のまま太政大臣や法王の地位をあたえるぐらい寵愛した。そして、道鏡天皇の地位を譲るべく、お伺いを立てたのが宇佐八幡宮であった。結果として、皇族でない道鏡はその対象ではないということで決着。もし、ここで僧籍の天皇が誕生していたら違った日本史ができていただろう。

そんな、歴史の地である宇佐八幡宮の本殿は入口からは90度の角度をついたところに正面がある。目隠しするために入口の真正面に本殿を建てないことはあるが、正面入り口と本殿正面が全く違う角度は珍しい。

八幡宮の総本山であるが、3棟からなる本殿はほかの総本山から比べるとそれほど大きくはない。参拝者のためのスペースがそれほど広くなく、パワースポットでもある大きな楠木が圧迫感を出している。明治維新後の廃仏毀釈によりなくなった弥勒寺が麓にあったので、そこで参拝者の所要は済んでいたのかもしれない。

宝物館では孔雀文馨が陳列されている。個人所有ではあるが、ほぼ常設状態。造られた年代が鋳造されており、孔雀の絵もしっかりと見て取れる。ただ、すこし曲がっており、鳴り物として使うことはないが音色が気になる。

臼杵磨崖仏

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大分県の国東半島では密教の修行の場として多くの寺院が建っている。その中でも珍しいのが臼杵にある石仏群である。崖を磨いて作ったことから磨崖仏というそうだが、磨くというより削ったように見える。

臼杵磨崖仏が国宝に指定されたのは1995年で、磨崖仏では全国唯一である。彫刻では九州で初めての指定であった。60体余りある石仏は、4群からなる安置場に分かれており、それぞれを参拝すると巡礼体験となる。ちょっとしたハイキングコースで、ほどよい運動には持って来いである。

訪問した時は8月の第4土曜日で火祭りが行われており、夜間の無料開放日だった。駅から臨時バスが出ており、普段は数時間に1本の便を思うと、この日に行くと交通の便を気にしなくて済む。そのためか多くの人が見に来ていた。臼杵磨崖仏の入り口バス停には屋台が出ていたり、観光館内所やお土産屋が開いていたりと賑わっていた。

石仏は小高い丘にそれぞれ彫られており、それぞれを見るためにアップダウンを繰り返し歩く。歩く道は整備されていて、夜でも歩きやすくその昔は修行の場であったとは思えない。また、ここ数年で磨崖仏の劣化を防ぐため、覆屋根の改修工事が進んでおり、明るい照明と参拝のための広いスペースが出来上がっていた。観光地化された磨崖仏は信仰の対象というより芸術の鑑賞の場となっている。

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観光の目玉イベントは火祭りである。

石仏の前はもちろん、巡礼するための階段や向かいの広場などに火を焚いて置いている。そこに、盆踊りを踊る地域の方々の声が聞こえる。ポスターなどで見る石仏の前で護摩を焚いている雰囲気とはまるで違う、牧歌的な燈火祭りといったところだ。街灯がない分、少しくらいので警備員や地元の役場の人たちが一生懸命誘導を行っており、怪我のないように運営する大変さが伺えた。

臼杵磨崖仏だけ見に行くのもよいが、行くならば火祭りなどイベントがあるとに行くとより楽しめる。

六道絵 聖衆来迎寺

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昨年のこの時期に奈良博で見た六道絵をもう一度観たいと思い滋賀へ行く。

国宝の六道絵の所有者は滋賀の聖衆来迎寺である。御多分に漏れず、普段は貴重な文化財ということで博物館に寄託している。その寄託先は全国に散らばっており、滅多に揃うことはない。そして、8月16日に毎年開催している虫干しでも、15幅中3幅しか見ることができない。

本物の国宝掛け軸は3幅だが、その複製品15幅についてはだれでも見ることができるように本堂に飾っている。昔は本物が同様に虫干しされていたのだろう。その飾り方は大徳寺の虫干し同様にほぼ目の前で手を伸ばせば届く位置にある。だが、それは複製。拝観料を払って内陣へ。

内陣の如来彫刻は絶品で、凹凸起伏がはっきりと彫られて、色彩もそれなりに残っている。また、重文クラスの仏像がが背後に鎮座しており、大切に保管されてきたことが伺える。

本山の比叡山は信長の焼き討ちで多くの文化財を焼失させた。対して寺院は天台宗にも関わらず織田家の家臣である森家を弔ったため戦火を逃れた。そして、徳川家康に仕えて上野の寛永寺を作った天海と縁のある寺院のため、狩野探幽や久隅守景など、超一流の絵師による襖絵や障壁画が奉納されるぐらいの大寺院になった。

さて、国宝の六道絵など虫干し公開品は本堂を抜けた客殿にて見ることができる。客殿自体も重文指定で前記の絵師たちが描いた生き生きとした水墨画で各面埋め尽くされている。そして、畳敷きに虫干しのために置かれた文化財が並ぶ。ただし、畳敷き内には入ることができないので、遠目で見ることになる。できれば、内陣同様に間近で観ることができれば最高だった。

年に1回の特別な日であるが、滋賀にあるためかそこそこの人の集まり。もし、京都で同様な催しがあれば人混みの中で窮屈に見ることになるぐらい、貴重な品々が多かった。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。