国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

六道絵 聖衆来迎寺

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昨年のこの時期に奈良博で見た六道絵をもう一度観たいと思い滋賀へ行く。

国宝の六道絵の所有者は滋賀の聖衆来迎寺である。御多分に漏れず、普段は貴重な文化財ということで博物館に寄託している。その寄託先は全国に散らばっており、滅多に揃うことはない。そして、8月16日に毎年開催している虫干しでも、15幅中3幅しか見ることができない。

本物の国宝掛け軸は3幅だが、その複製品15幅についてはだれでも見ることができるように本堂に飾っている。昔は本物が同様に虫干しされていたのだろう。その飾り方は大徳寺の虫干し同様にほぼ目の前で手を伸ばせば届く位置にある。だが、それは複製。拝観料を払って内陣へ。

内陣の如来彫刻は絶品で、凹凸起伏がはっきりと彫られて、色彩もそれなりに残っている。また、重文クラスの仏像がが背後に鎮座しており、大切に保管されてきたことが伺える。

本山の比叡山は信長の焼き討ちで多くの文化財を焼失させた。対して寺院は天台宗にも関わらず織田家の家臣である森家を弔ったため戦火を逃れた。そして、徳川家康に仕えて上野の寛永寺を作った天海と縁のある寺院のため、狩野探幽や久隅守景など、超一流の絵師による襖絵や障壁画が奉納されるぐらいの大寺院になった。

さて、国宝の六道絵など虫干し公開品は本堂を抜けた客殿にて見ることができる。客殿自体も重文指定で前記の絵師たちが描いた生き生きとした水墨画で各面埋め尽くされている。そして、畳敷きに虫干しのために置かれた文化財が並ぶ。ただし、畳敷き内には入ることができないので、遠目で見ることになる。できれば、内陣同様に間近で観ることができれば最高だった。

年に1回の特別な日であるが、滋賀にあるためかそこそこの人の集まり。もし、京都で同様な催しがあれば人混みの中で窮屈に見ることになるぐらい、貴重な品々が多かった。

【糸のみほとけ】 綴織當麻曼荼羅

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奈良博は仏教関連の展示会でマイナーだが観ると素晴らしい企画をする。昨年の源信展では各宗派の宗主(スーパースター)が参考(あこがれた)にした浄土の世界について展示し、一部では大反響だった。

そして、今回は刺繍による仏教美術。見仏記による彫刻仏像の人気は社会現象となり、東博では各有名寺院の仏像展が五月雨式に企画されて、大成功している。また、日本の中世絵画ブームも続いており、仏画についてもこれからブームになる予兆がある。にも関わらず、奈良博ではその先を見据えた刺繍による仏画、糸のみほとけ展を開催している。

そもそも、仏画・仏像は各末端の寺院にあり、質はともかく大量に存在している。一方で、刺繍は高度な技術とともに時間と手間がかかり、大量生産できないため、仏画・仏像に比べて多くはない

その多くない刺繍仏布の最高峰を集めたのが糸みほとけ。綴織當麻曼荼羅の修復が終わったことを記念して、大集合となった。修復後の當麻曼荼羅だが、修復前と言われてもいいぐらい茶色く変色しており、肝心の曼荼羅は目を凝らしてようやくうっすら見える程度であった。修復完了がこの状態なのだったら、修復前はいかにひどかったのだろう。また、部分復元したものも展示してあったが、現代の技術力ですら一部分復元するのに数年の歳月がかかったようで、制作した当時の人々の力の入れようが分かる。

複雑な刺繍は時間がかかるため、後半の展示にはほとけを梵字に変えて描いているなど、手間暇と費用を天秤にかけて造りやすいものへ仕様が変わっていくのだと分かり、今も昔も費用対効果なのだと思った。刺繍仏は千羽鶴思想に近いものがある。

巧山寺

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今年は明治維新150年。薩摩を訪れたのならば、長州にもいかねばなるまい。そして、長州の国宝のひとつである功山寺の本堂を見逃すわけにもいかない。

功山寺は七卿が落ち延びた場所であり、高杉晋作ゆかりの地である。明治維新の夜明け前を演出した最高の場所である。長府駅からは少しはなれば小高い場所にあり、隠れるのに持って来いの場所である。寺院近くのバス停は神鋼の大きな工場が海辺にあり、その社員のために商店街らしきものがある。ただ、どこもそうだが近くに大型ショッピングモールができたことから、寂れてしまっている。

寺は寂れた商店街を超えた山辺にあり、そこまでの道中は古い街並みを残しており、観光ポスターにも使われる名所となっている。古い街並みを過ぎて曲がったところに寺院の入口がある。地域の寺院と会ってこじんまりとした三門があり、階段を駆け上がると正面に国宝の本堂が現れる。禅宗様式を代表する建物で、美しい屋根の反り返り部分などは京都の大寺院にも引けを取らない。

ところが全然迫力がない。それは、左手に本堂よりも大きいコンクリート製の元博物館があり、雰囲気を台無しにしているからだ。長府が海に近く土地が狭いためここに建てたのだろう。だからといって、和の敷地内に洋風建築を建てる行政のセンスがない。そればかりか、古い町並みは道が狭く、車が通りにくい場所のため、集客を目的とする博物館は不向きな場所である。そのことに気がつき、十数年前に交通の便が良い場所に新しい博物館を建築してお役御免となった。

あとは解体するだけのはずが、新たな問題が持ち上がった。この元博物館は戦前の博物館として現存している貴重な建物のため、有形文化財に指定されているのだ。本堂のことだけを考えるとないほうがよい。なので、ぜひ元博物館の方はしかるべき場所へ移築してみんなに見てもらってほしい。

石手寺 二王門

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国宝で一番荒っぽく扱われている建物はどれか。

それは間違いなく石手寺の二王門である。門の見えにくいところにいろいろ小物をしまい込んでいたり、パンフレット類が無造作に置かれていたり、一見すると本当に国宝なのかと疑ってしまう扱いだ。

そうなるのも無理はない。四国八十八か所巡礼地の一つであると同時に、松山最大、つまり四国最大の観光名所の道後温泉に近い。おまけにミシュランガイドの観光地の一つ星を獲得したとあって、国宝に頼ることなく集客できる。次から次へと参拝者が来る。まさに行列ができる寺に他ならない。

本堂や護摩堂なども重要文化財で、ゆっくりと観賞するとそれなりに楽しめる。ところが、多くの参拝者は巡礼のため次へと足早に寺を去る。これでは国宝をじっくり見せる必要がない。文化財よりお参りに来た証拠だけが重要なのだろう。その思いが国宝の扱いに反映されている。国宝や重文だから丁寧に扱えとは言わないが、もう少し主張させてもよいのではないか。

青井阿蘇神社

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国宝建築の中で指定されて一番喜ばれたものはどれか。

ほとんどのものがなるべくして指定された国宝建築物が多い中、いたるところに「祝 国宝」の文字が躍る青井阿蘇神社は一番喜ばれた建築物に間違いない。指定から10年経った今年も「祝 10周年」とお祝いムード一色であった。10年でもこんなに国宝指定を祝うのだから、指定された当時はすごかったに違いない。なにせ、熊本県内の文化財で初めての国宝指定だった。あの熊本城ですら国宝ではない。にも関わらず、人吉にある神社が指定されたのだから、市民は大歓迎だったに違いない。

ただ、建築物自体は地味。茅葺の社殿では初めての国宝指定ということで、極彩色の装飾がされている訳でもなし。朱で塗られた派手な柱があるわけでもない。歴史的な高層建築部や、よそでは見かけない奇天烈な形をしているわけでもない。あくまでも至って普通の茅葺の神社である。

人吉といえば温泉や城跡、SLなど観光名所が多く点在しており、その一画に花を添える国宝神社。境内の至る所にある国宝の文字は他を圧倒するキラーワードとしてこれから輝き続ける。

【徳川美術館】名刀紀行 短刀 無銘 正宗(名物 庖丁正宗)

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この秋に京博が開催する京のかたな展。京で作られた刀たちを全国各地から集めまくった展示会で、博物館が企画する刀の展示としては質と数ともに最大級のものとなっている。そして、武家の棟梁が本気を出せばという展示が名古屋の徳川美術館で開催されている名刀紀行である。

武士の魂とも言える刀は戦国の世が終わった後、実用よりも贈答の部類として重宝されてきた。代替わりの時に献上あるいは下賜するために、刀自体にランクづけされた。名物はその上位のランクで、所有することが名家の証ともなった。

さて、尾張の徳川家が本気で伝来の刀を展示したら、どうなるか?

答え:所有物は国宝や重文となったものがごろごろあり、刀の展示とはこうすべきだと最高の手本を見せてくれた。京博では山城系のみを集めた展示となっていて、それはコンセプトとしてはあり。ただ、刀と言えば五箇伝と呼ばれる五つの産地があり、それぞれに特徴のある作り方をしている。それを地域ごとに分類して、なおかつ名品ばかりを展示できる徳川美術館の圧倒的な品ぞろえが素晴らしい。

なかでも目を見張ったのは名物の庖丁正宗。観て圧倒されたのは、その薄さ。刀は打撃の要素も含まれるため、ある程度の厚さが必要である。だが、短刀は刺すことを前提にしていることから薄くでも大丈夫。その薄さに加えて刀身に刀形の透かし彫り、鍬形を陰彫されており、出来上がった段階で二つとない美術品の域に達したすばらしい逸品である。正面からはもちろん裏面や横からでもじっくり観賞できる見せ方もよかった。

徳川美術館所有の国宝刀全品を惜しげもなく展示しており、他の武家系展示館も見習ってほしい太っ腹な見せ方であった。

太刀 銘国宗 照國神社

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国宝は日本国内にあって初めて指定される。どれだけすばらしいものでも海外に流出しているものは対象外である。そのため、海外から輸入されたもの(茶器や絵画など)が国宝に指定される例は多いが、海外に渡ったものが指定されるのは珍しい。

照國神社が所有する太刀・銘国宗は歴史を含めて国宝なるべくしてなったものだ。そもそも、古くから薩摩を治めている島津家が所有し、昭和2年照國神社へ奉納したもので、旧法律下で国宝指定を受けていた。順風満帆であった国宗の運命の歯車が狂いだしたのは戦争によってである。

第二次大戦に敗れた日本は米軍に武器を没収された。特に刀類は日本軍の象徴として名に彼構わず接収された。一兵卒の軍刀だろうが、家宝の刀だろうが、国宝であろうと武器として取り上げられた。その中に国宗も含まれていたのだった。アメリカ軍は刀の価値など全く興味がなく、戦利品の手土産としてアメリカ本土まで持ち帰った。そのため、名刀で名を馳せたものでも行方不明のものが多く、国宗もそのひとつになりかけた。しかし、運命はそうさせなかった。オークションにかけられたところをアメリカ人の愛刀家コンブトン氏が入手する。その価値を知る彼は昭和38年、日本に返却してくれたのだ。国宗は無事、日本に帰還することができ、晴れて国宝してを受けた。

さて、返還されてからは東京国立博物館が所有していたが、やはり本来あるべき場所は鹿児島。同県の文化財で唯一の国宝として、鶴丸城跡にある黎明館で時折展示されている。

そんな国宗だが、刀としてどうかと言われると、武骨な刀で工芸美術品というより実践向きに見える。保存状態はそれほどよいとは言えず、大切に保管されていた重文クラスのほうが輝きがある。何と言っても刀の運命で見せるタイプの刀なのだろう。

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。