国宝を観る

国の宝を観賞していくサイト

国宝を楽しむため、いろいろ書いています。 勉強不足でも観れば分かる。それが国宝だ。

大山祇神社

f:id:kokuhou:20180608213615j:plain

徳川幕府が出した大型造船の禁止令までは、瀬戸内の海賊たちが西日本の海を支配してきた。特に源平盛衰を懸けた12世紀から戦国時代までは戦いの中で、どうしても海を利用することがあった。海運は陸上輸送に比べて圧倒的な速さと物量を運ぶことができるためである。

そこで時代を制した大将たちはこぞって海の神に奉納してきた。厳島神社平清盛を筆頭に平家が崇拝。そして、大山祇神社源頼朝を含む源氏の奉納物が多く、国宝指定8点を含む宝物が国宝館に陳列されている。

しまなみ海道尾道今治の中間ぐらいに位置する大三島大山祇神社がある。神社は島にあるとは思えない造りで、京都の寺社にも負けないぐらいだった。

お宝を保管する建物は蔵を改装した旧館とコンクリート造りの新館からなり、鑑以外は新館に展示されている。ほどほどの来客数でじっくり見るにはちょうど良いスペースで、武具類が充実している。ただ、新館ですら古臭い造りであるので、もう少し近代的なものへ造り替えるか、神社の向かいにある近代的な美術館に移した方が工芸品の保管にはよさそうだ。

【京博】池大雅

f:id:kokuhou:20180505205644j:plain

池大雅は国宝指定が3点もある南画の巨匠だ。昨年の国宝展に1点ぐらい出ると予想していたが、回顧展への出品に回って、待望の対面となった。

とはいえ、昨年の今頃までは全く国宝に興味がなかったこともあり、池大雅の名前を知らなかった。国宝の十便十宜図で共作した与謝蕪村ならなんとなく学校で習った記憶がある。また、同時代の若冲が大ブームとなっていることを考えると少しは知っていてもおかしくないはずだ。だが、南画は中国で誕生した山水画だとに見られがちで、大雅が確立した違いが分かりにくい点が声高に喧伝されない理由かもしれない。

日本の山水画は見ることが叶わない(雪舟みたいに一部は見に行った人もいるが)中国の風景を描くため、形式的になりがち。その形式を超えるため、全国を見て回って地形を研究した池大雅だから出来た中華風風景画技法が南画である。現代ほど旅行が自由でなく、費用も莫大にかかった時代であり、誰もができることではない。それを敢行したことが池大雅の大きな財産になって絵画に反映された。日本十二景図や真景図などにみられるように、景勝地の特徴を水墨画で端的に表現しており、のちの国宝・重文につながる作品の原点のように思えた。楼閣山水図屏風や山水人物図襖など、それらの経験が生きた作品で、オーソドックスな山水画とは一味違う見ることができそうな風景に仕上がっていた。

珍しい項目として使用した技法の指墨図がテーマとなっていた。指を筆替わりに使う技法で、現代絵画ではポピュラーな技法である。それを江戸時代の山水画で取り入れたのだから斬新である。絵画は細かな部分まで計算された構図で仕上がることから余り自由を取り入れることがない。俵屋宗達のたらし込みほどの斬新さはないが、それでも筆以外で表現するチャレンジ精神が自然を描くヒントになったのかもしれない。

風景のすばらしさとは違って人物や動物が極端に少ない。篆刻に造詣が深く書はすんなり読めないなど、インスタ映えに見られる一目で分かるキャッチ-さが無い。若冲との差はその辺にありそうだが、京博の特別展は評価されるまで3年ぐらい早い時期に開催することが多い。先物買いとして風景画は浮世絵などで流行っているので、篆刻が流行るかもしれない。

【奈良博】春日大社のすべて

f:id:kokuhou:20180504102229j:plain

奈良国立博物館奈良公園の一角にある。ところが、公園がどこからどこまでなのかはわかりにくい。なぜなら公園に整備される以前からある寺社仏閣が多数存在し、境目がない。もともと興福寺の領地だった場所が公園として整備されたためだろう。また、道路を渡ると東大寺があり、春日大社がある。これらも自由に散策できるので、神域のはずが森を散策するぐらい気軽にいけるので、公園といっても疑う人は少ないだろう。そんな自由な奈良駅周辺だが、ここが都であったり戦場になったというのは想像しにくい。春日大社のすべてではそれら俗世的な部分はあまり紹介されていない。春日信仰を中心に展示していた。

春日大社平安時代に栄華を極めた藤原家ゆかりの神社である。公家、つまりおおやけの家系を作り上げた貴族の中の貴族の家柄が信仰した神社であるため、お宝は豊富にある。ところが、お宝類は神社の式典にかかわるものが中心で、南都焼き討ちの際に再興した源氏からの武具の寄贈が一部ある程度で、中世以降のお宝はほとんど出品されていない。まさに藤原家の栄華を極めた時期に合致している。

今回の展示物は先日の式年遷宮時に建てられた国宝殿に少しずつ展示されて来たものが多く、新鮮味が少ない。毛抜形太刀や蒔絵箏など春日大社に通っていると遭遇したものばかりだ。今回の展示で個人的な目玉は鹿島神宮の直刀・黒漆平文大刀と香取神宮海獣葡萄鑑だ。大刀は本当に大きく、漫画のブリーチで振り回してもおかしくないインパクトがあった。直刀であるため、ベルセルクのガッツのように背負って持ち運ぶと鞘から抜けないので、巨人用のものだったと想像力を掻き立てられるが、実用ではなく奉納品だったのだろう。鑑は様々な動物の立体的な意匠が特徴で、デザインでこれだけ起伏があるものはそうそうない。

展示会で注目を集めたのは鎧と胴丸。前半に行ったので、竹虎雀飾の細かな細工は甲冑に施すには勿体ない細工で、それだけでも十分国宝クラスになりそうだ。この甲冑の奉期が鎌倉の源氏からで、先日訪問した称名寺春日権現関連の資料が同展示会にも出品されている。南都焼き討ちによる平家との対立を源氏が支援するということで、思惑が一致したためだろう。

室町時代以降の春日大社がなぜ注目されなくなったか。藤原家中心の政治から天皇親政、下克上、武家の長期政権が続き、公家が信仰している神社まで関心が及ばなくなったためだろう。春日大社のすべてと題しているが、その注目せれなかった時期も少し触れてほしかった。

【畠山記念館】蝶螺鈿蒔絵手箱

f:id:kokuhou:20180430212950j:plain

大正から昭和初期にかけて、茶道は経営者の嗜みだった。廃仏毀釈と大名の凋落で市場に出回った骨とう品を外国人や国内の経営者が買いあさり、コレクションとした。戦前ならば見ることは叶わなかった品々が戦後50年以上が過ぎ、資産管理を兼ねた美術館運営の一環として見ることができるようになった。

畠山家はポンプや環境機器の荏原製作所創業家にして、能登藩主の末裔であることから、ポッと出の資産家たちの買い漁りとは訳が違う。しかし、資産の相続の苦労は一緒で記念館として年4回程度開放している。この記念館の立地が白金台と現在では超高級住宅街内で、隣にあった旅館は廃業後に超有名資本家に買われたらしい。そんな場所にも関わらず茶室が3棟あり、茶道への愛情が強かったことが分かる。

今回の展示会は同館の茶道具コレクションに加えて、大名茶人の松平不味に関するものを展示している。三井記念美術館とは違い、同館らしい派手さは全くない。その中で、蝶螺鈿蒔絵手箱も一等席での展示会場奥中央にあるが目立たない。東博の片車輪、サントリーの浮線綾、徳川美術館の婚礼調度類一式など、派手でそれがあるだけで輝くはずの蒔絵手箱が、地味に置かれている。せっかく国宝で輝きが売りの手箱にも関わらず、ほかの茶道具とおなじ仕様の陳列で、とても寂しい扱いだったお客の入りもまばらだったのも立地や企画内容のせいだけじゃない。照明や陳列がそれほどお金をかけずにできる時代なのだから、工夫して見せてほしい。

【五島美術館】源氏物語絵巻

f:id:kokuhou:20180429215720j:plain

美術館や博物館、寺院などでは大型連休中だけ客集めたため目玉となる名品を陳列したり特別公開することがある。五島美術館でも今春の優品展を開催している最中、この連休中のみ国宝の源氏物語絵巻を特別展示をしている。

詩と絵の部分を断裁して、板に張り付けて保存している現物と、科学的調査をもとに顔料などを調べ上げた結果に基づき、現代作家が再現した絵を横において見せていた。どうしても再現した鮮やかな方に目が行ってしまうが、そこは我慢して本物で再現に至る痕跡を探す見方に終始した。観れば観る程、技術力の高さが際立つ。そして5年ごとに、徳川美術館五島美術館で開催される源氏物語展に何が何でも訪れたくなるくらい、いつまでも観ていたくなった。

優品展は書が中心で、紀貫之三蹟たちなどが書きあげた優れた品々が展示されていた。九州博物館で開催された日本の書の後半と同じような流れで配置されており、国風文化を形成した流れの定型展示方法と言っても過言ではない。この定型を東急グループの五島コレクションで再現できるということが凄すぎる。

【東博】 名作誕生 つながる日本美術

f:id:kokuhou:20180429084425j:plain

3月、大阪・中之島に都市型美術館・香雪美術館が誕生した。関東では珍しくなくなった複合施設内の美術館だが、全国的にはまだまだ珍しい。この美術館は芦屋にある朝日新聞の創業の村山家が蒐集した美術品を展示している香雪美術館の兄弟的な存在で、ビル内に茶室を完全再現する力の入れようである。展示室の奥に、朝日新聞と國華という美術誌の関りが分かる展示コーナーが設けられている。なぜ、朝日新聞が國華を発行しているのかは見てのお楽しみとして、その國華の創刊130周年、朝日新聞創刊140周年記念の展示会が東博て行われている。

國華はかなり尖った美術誌で、論評はもちろん印刷の仕上がりまで、未開の地を歩んできた。そんな誌面で紹介されてきた作品が展示されている。入口からすぐは仏像群が出迎え。運慶展、仁和寺展と仏像のオールスターを同じ場所で観てきたので少々物足りないラインナップだった。しかし、続く間の普賢菩薩騎象像(大倉集古館所蔵)と普賢菩薩像(東博所蔵)のコラボはなかなか見ることのできない配置。彫刻の後ろに掛け軸と直線上に国宝2点はいつまでも見続けられた。初めて見る騎象像は塗装の剥げた部分から木目が観えており、それすら計算された彫刻であることが見て取れる。像に合う木を探すのにどれだけの時間をかけたのか計り知れない。

土佐派や狩野派など王道の絵師とは一線を画す雪舟宗達若冲と個性派作家を取り上げたことも國華の特徴。完成度の高い製作集団の技術を個性で突破する爽快感が作品の端々から伝わる。

そして、日本美術の王道である古典的テーマで集めた作品へと続く。八橋蒔絵螺鈿硯箱(東博所蔵)は、豪華な蒔絵にも関わらすテーマがしっかりしているためか派手さをあまり感じず、日本的よさがでている。洛中洛外図屏風(舟木本、東博所蔵)の作者である岩佐又兵衛は再注目されている作家で、洛中の日常が生き生きとところ狭しと描かれている。現存する建物や大仏殿のように無くなったものもあり、京の盛衰が見て取れる。

1000年以上続く日本美術の多様性を観る絶好の機会であった。これが10年前なら國華らしいと思えたかもしれないが、若冲ブームに始まるここ数年の日本美術ブームの中にあっては(本来は先行しすぎていたのに)後追い感があった。岸田劉生もよいが最後のコーナーぐらいは尖った作品で締めてほしかった。

【九博】王羲之 日本の書

f:id:kokuhou:20180406211955j:plain

最後の最後で間に合った。王羲之を中心に書を集めた展示「王羲之と日本の書」を九州国立博物館へ観に行った。王は3つの書体を使い分け、フォントの多様性を生み出し新しい書の世界を切り開いた。中国の科挙の試験では王の書き方でなければ内容が正しくても不正解になるほど信仰されていた。日本でもその分に漏れず、漢字の手本として重宝されてきた。その中でも、喪乱帖と孔侍中帖は真筆にもっとも近いとされている。訪れた時は孔侍中帖が展示されていた。不能という文字の書き分けをじっくりと見ることができた。ただ毎回ではあるが、紫紙金字金光明最勝王経のように専門の書き手によって仕上がったものの方がうまいと感じてしまう。最澄筆の久隔帖や嵯峨天皇筆の光定戒牒なども特徴のある書であった。

続いて、仮名文化への変化を中心に、日本の書へ移行。三筆の活躍などを中心に展示されていたが、途中に大きな解説版が複数あり展示スペースを埋めなければならないくらい作品集めの難しさを伺わせた。

和書の新展開では、禅の導入により書の種類が変わる。禅では力強い筆が好まれ、濃い墨で分かりやすい文字で書くことで誰でも分かることを狙っている。開山号では迫力のある濃く太字に末広がりを想像させる大胆な構図が印象的だった。また、鎌倉時代から戦国時代にかけては武士が中心の世の中となり、風流よりも事実を淡々と書く必要があった。

最後に国宝ではないが鶴下絵三十六歌仙和歌巻が広げられており、宗達と光悦のコラボ作品として、ネクスト国宝候補としては申し分ないものであった。

 

国宝拝観者たちの夢、それは千件越え。 毎年、国宝指定数が増えているので、容易にはなってきているものの、一つの目標である。 900件を超えた辺りから新規の拝見ペースが落ちているが、果たしていつ達成なるか。